バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Ru
ssell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 争点は上の数学の例に見られるよりもはるかに一般的なものである。争点は次のとおりである。「ある命題が真であるか偽であるかを決定する方法が存在しないとき、その命題は真であるか偽であるかどちらかであると言うことは何らかの意味があるか?」 あるいは、別の形で言い表わすと、「『真(であること)』は『検証可能』であるということと同一視すべきか?」 我々はひどく無益な論理的矛盾を冒すことなく、こういう同一視をすることはできないと考える。(たとえば)次のような命題をとりあげよう。「西暦一年一月一日にマンハッタン島に雪が降った」。この命題が真であるか偽であるかを発見しうるいかなる方法もない。しかしそれが真でも偽でもないと主張することは不合理と思われる。

The issue is much more general than it appears in the above mathematical examples. The issue is: ‘Is there any sense in saying that a proposition is either true or false when there is no way of deciding the alternative?' or, to put the matter in a different form, ‘Should “true" be identified with “verifiable"?' I do not think we can make such an identification unless we commit ourselves to gross and gratuitous paradoxes. Take such a proposition as the following: 'It snowed on Manhattan Island on the 1st January in the year 1 A. D.'. There is no conceivable method by which we can discover whether this proposition is true or false, but it seems preposterous to maintain that it is neither.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
 More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_10-030.HTM

<寸言>
 科学が進歩すれば「西暦一年一月一日にマンハッタン島に雪が降った」かどうかわかるようになるかも知れないと反論する人には、「西暦一年一月一日の午後5時1分にマンハッタン島に雪が降っていた」という命題に変えてみましょう。たとえ、当日雨がふっていたことが科学的研究でわかったとしても、午後5時1分には雨が一時的にやんでいたかも知れません。そんなことは確認できそうにありません。

 この引用文の直前の文章を読めば、この引用文の意味合いはより理解できますので、少し長いですが、以下に転載しておきます。

 ブラウエル(Luitzen Egbertus Jan Brouwer、1881-1966:オランダの数学者で、数学基礎論における直観主義の創始者)に率いられている直観主義者の理論は、もっと重大な議論を必要とする(demand 要求する)。この理論の中枢(nerve)は、排中律の否定にある。それは(直観主義の理論は)、一つの命題が真または偽とみなされるのは、真偽のいずれであるかを確かめるための何らかの方法が存在するときのみである、と主張する(注:It holds that ~という考えを抱いている)。いつも引き合いに出される例(stock example よく知られた例)の一つは、「πを小数で表す場合に(注:in the decimal determination of 'π')、3つ連続して7が現われる(ことがある)」という命題である(注:3.1415926 ・・・***・・・)。πの値が(これまでに)計算されたかぎりでは(so far ... π has been worked out)、7 が三つ連続して出て来ることはなかった。しかし、さらに計算を進めて行って7 が三つ続いて現われることがないと想定する根拠もまったくない(no reason 証明できない)。もし今後 7 が三つ続く場所(point)が現れるならば、問題は決着するであろうが、今後もそういう場所に達しないとしても、さらに進んでもそういう場所は現れないだろうという証明にはならない。それゆえ、我々は三つの連続する7が存在するという証明に成功するかも知れないが、三つの連続する7は(絶対に)現れないということは証明できない。この問題は解析学(注:analysis = mathematical analysis : 極限や収束といった概念を扱う数学の分野で、代数学、幾何学と合わせて数学の三大分野をなしている。)との関係で重大な意味をもつ。無限小数は、時には、ある規則(法則)に従って進行し、その規則(法則)により我々が選ぶ(少数の)項だけの数字を計算をすることを可能にする。しかし時には、無限小数(Decimals which do not terminate)はいかなる法則にも従わない(そのように我々は想定せざるをえない)。一般に承認されている原理に従えば、後者の場合の方が前者よりも非常にありふれたものであり(infinitely commoner)、しかもそういう無法則(無規則)な小数の存在を認めなければ、実数の理論全体が崩壊し、それとともに微積分学(infinitesimal calculus 微分積分学)及び高等数学のほとんど全てが崩壊する。ブラウエルはこの悲惨な状況をひるまずに受けいれたが、大多数の数学者はそういう結果は堪えがたいと見た(のである)。

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