バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 彼女(Edith Finch, 1900-1978)は,世紀の変わり目(注:ラッセルは1896年に初めて訪米)から私が個人的によく知っていたルーシイ・ドネリイ(1870-1948)の親友であり,私が1930年代と1940年代に米国に滞在した期間,私が彼女にとってかなり大切な人であったと同様,私の幾度もの米国訪問の間,彼女は私にとって大切な人であった。・・・。
 ルーシイが亡くなり,エディスはニューヨークに移り住んでいた。1950年,私のコロンビア大学での講義の期間中,私は彼女と再会した。私達の仲は急速に深まり,すぐに,もはや大西洋を隔てて別れていることに堪えられなくなった。彼女はロンドンに移り住んだ。そうして,私は(ロンドン郊外の)リッチモンドに住んでいたので,私達はしばしば会った。その結果として生じた二人の時間は限りなく楽しいものであった。

She (Edith Finch) had been a close friend of Lucy Donnelly whom I had known well at the turn of the century and had been something of during my various American visits as I had of Edith during my years in the United States in the thirties and forties....
Lucy had died and Edith had moved to New York where I met her again during my Columbia lectures there in 1950.
Our friendship ripened quickly, and soon we could no longer bear to be parted by the Atlantic. She settled in London, and, as I lived at Richmond, we met frequently. The resulting time was infinitely delightful.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB32-010.HTM

<寸言>
 ラッセルは、パトリシア・ラッセルと1949年に別れて以降、独り身になっていましたが、それも長くは続きませんでした。ラッセルは、1950年のコロンビア大学での講義の時に、エディス・フィンチ(1900.-1978.1.1)と再会しました。
 エディスは、本来、大学に所属しない独立研究者でしたが、一時期、ブリン・マー女子大の英文学の教師をつとめていたことがありました。
 ラッセルは1896年の最初の訪米時にブリンマー女子大(初婚相手のアリスが卒業した大学)を訪れていますが、もちろん、エディスはその時はまだ生まれていませんでした。ラッセルはブリンマー女子大の英文学教師だったルーシー・マーチン・ドネリー(1870-1948/アリスの友人でラッセルより2歳年長!)と非常に親しく、生涯、多くの手紙のやりとりをしましたが、エディスとはそのドネリーを介して知り合いました。
 ラッセルはエディスと1952年12月に結婚し、(1970年2月2日(真冬)にインフルエンザにかかって)北ウェールズの自宅で息を引き取るまで、二人はそいとげました(仲良く暮らしました)。
 ラッセルは生涯4度結婚しましたが(また、別居して離婚までの間に別に恋人がいたこともありましたが)、物事を外面的にしか見ない人が多く、ラッセルを「好色家」「ドンファン」「不道徳家」「不信心者」・・・と、非難めいた形容をする人も少なくありません(でした)。

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