バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 私はシカゴ大学で規模の大きなゼミを持ち,オックスフォード大学の時と同じテーマ,即ち「言語と事実」について講義を続けた。・・・。
 それはとても楽しいゼミであった。そのゼミにはカルナップとチャールズ・モリスがいつも出席しており,また三人の飛びぬけて優秀な学生,ダルキーとカプランとコピロウィッシュが出席していた。われわれはいつも行きつ戻りつしながら充実した議論を続けた。そうして,そういうことは哲学上の議論においてはごくまれなことであるが,お互いに満足のいくまで問題点を整理することに成功した。このゼミを別にすれば,シカゴ時代は不愉快なものであった。町は不潔であり,気候はひどかった。

In Chicago I had a large seminar, where I continued to lecture on the same subject as at Oxford, namely, 'Words and Facts.' ...
It was an extraordinarily delightful seminar. Carnap and Charles Morris used to come to it, and I had three pupils of quite outstanding ability Dalkey, Kaplan, and Copilowish. We used to have close arguments back and forth, and succeeded in genuinely clarifying points to our mutual satisfaction, which is rare in philosophical argument. Apart from this seminar, the time in Chicago was disagreeable.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2,chap.3: China
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB26-010.HTM

<寸言>
 ラッセルは妻パトリシア及び次男コンラッドとともに、1938年秋に渡米しました(ジョンとケイトも少し遅れて渡米)。
 まずシカゴ大学において、オックスフォード大学で行った内容と同じテーマでゼミを行っており、論理実証主義の代表者の一人として有名なルドルフ・カルナップ(1891-1970)も参加しました。
 シカゴは現在では評判のよい都市(2017年度、世界における都市ランキング12位)ですが、当時は、大屠殺場やギャング(アル・カポネ、1899-1947)も影響していたのか、評判はあまりよくありませんでした。一人ならまだしも、家族と一緒だったので、できるだけ早くシカゴを離れたいと思ったのだと想像されます。

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