バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 私がドーラのもとを去ってからも,彼女は第二次世界大戦の勃発後まで学校経営を続けたが,1934年以後は学校はもはやテレグラフ・ハウスにはなかった。・・・
 1932年の夏は,カーン・ヴォエル(Carn Voel/ラッセル一家が夏の期間に住んだ別宅)で過ごした。その家は後にドーラに譲った。そこにいる間に『教育と社会秩序』(Education and the Social Order, 1932/邦訳書名は「社会体制」)を執筆した。その後は,学校経営の財政的負担もなくなったので,金目当ての論説を書くのをやめた。親としては失敗したが,重要な価値のある本を書きたいという野心が復活した。

When I left Dora, she continued the school until after the beginning of the Second War, though after 1934 it was no longer at Telegraph House. ...
I spent the summer of 1932 at Carn Voel, which I later gave to Dora. While there, I wrote Education and the Social Order. After this, having no longer the financial burden of the school, I gave up writing potboilers. And having failed as a parent, I found that my ambition to write books that might be important revived.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2,chap.3: China
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB25-010.HTM

<寸言>
 「その後は,学校経営の財政的負担もなくなったので,金目当ての論説を書くのをやめた」とのことですが、もちろん、一般向けの本をまったく書かなくなったわけではありません。学校経営の資金作りの必要がなくなったので、「お金稼ぎのための」本を書くのをやめたということです。
 「親としては失敗したが,重要な価値のある本を書きたいという野心が復活した」ということで、ラッセルは「再出発」することになりました。「転んでもただでは起きない」といったところでしょうか? 次の段落(明日引用予定)にそれが現れています。
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