バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 それから私達(ラッセルとドーラ)は,改造という現代的な雑誌の,企業家精神旺盛な編集者達の手中に入った。彼らは私達を,京都中及び東京中を連れまわし,私達が出かける時には新聞記者達に知らせるよういつも気を配っていたので,私達は絶えずカメラのフラッシュ・ライトに追いかけられ,眠っている姿までも写真に撮られた。京都と東京の両方で,私達に会いに来るよう非常に大勢の教授達が招待された。両都市において,私達は極端なこびへつらいを持って扱われるとともに,警察のスパイにたえず尾行された。

We then fell into the hands of the enterprising editors of an up-to-date magazine called Kaizo, who conducted us around Kyoto and Tokyo, taking care always to let the journalists know when we were coming, so that we were perpetually pursued by flashlights and photographed even in our sleep. In both places they invited large numbers of professors to visit us. In both places we were treated with the utmost obsequiousness and dogged by police-spies.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2,chap.3: China
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB23-130.HTM

<寸言>
 ラッセルは、北京で重病を患う前、総合雑誌「改造」で有名な改造(社)と、日本で講演旅行をする約束をしていました。その約束を果たすべく、英国への帰途、1921年7月17日(午後)から7月30日(午前)までの12日間、ラッセルはドーラとともに、日本を訪問します。(注:改造は、ラッセルの推薦を受け入れ、翌年、アインシュタインを日本に招待しています。そうして、相対性理論で既に世界的に著名となっていたアインシュタインは日本全国で「熱烈歓迎」されました。)
 当時の日本は「大正デモクラシー」の時代とは言え、第一次世界大戦において反戦を唱え、社会主義にシンパシーを持っているラッセルは「過激思想」の持ち主として、一挙手一投足が監視の対象とされました。その結果、ラッセルが日本人で感じがよいと思ったのは伊藤野枝一人だと自伝に書くほどでした。因みに、伊藤野枝は、関東大震災のどさくさで、大杉栄とともに、憲兵隊の甘粕大尉により虐殺されました。(絞殺だから「虐殺」ではない?)

 
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