バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 1915年,彼女(オットリン)はロンドンを離れ,オックスフォード近郊のガーシントンにあるマナー・ハウス(田舎の貴族の館)に移り住んだ。・・・私はかなり頻繁にガーシントンに出かけていったが,彼女は以前に比べあまり私に関心を示さなくなっているのがわかった。私は,自分の不幸を慰めてくれる誰か他の女性を周囲に捜し求めたが,コレット(コンスタンス・マレソン夫人)に出会うまでは成功しなかった。警察裁判所訴訟以後,平和主義者グループの晩餐会の時に,私はコレットと再会した。・・・彼女は非常に若かったが,オットリンと同じくらいすばらしい,落ち着いた勇気をもっていることがわかった。(勇気は,私が真剣に愛そうとする女性には不可欠な性質である。) 私達は,夜中まで語り合った。そして語りあううちに恋人同志になった。

In 1915, she (Ottoline) left London and went to live at the Manor House at Garsington, near Oxford. ... I used to go down to Garsington fairly frequently, but found her comparatively indifferent to me. I sought about for some other woman to relieve my unhappiness, but without success until I met Colette. After the police court proceedings I met Colette next at dinner of a group of pacifists. ... She was very young, but I found her possessed of a degree of calm courage as great as Ottoline's (courage is a quality that I find essential in any woman whom I am to love seriously). We talked half the night, and in the middle of talk became lovers.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB21-190.HTM

<寸言>
 貴族でない我々は、貴族社会の「実態」はよくわかりません。英国の貴族社会は閉鎖的ですので、貴族社会の外の世界(一般社会)に知られていないことが多々あります。一般社会においては、自由恋愛や不倫などを実行すれば世間に周知されてしまいます。しかし、貴族社会のなかでは「公然の秘密」(周知の事実)であっても、一般社会にはほとんど知られていないことも多くありそうです。

 レディ・コンスタンス・マレソン(1895-1975)は第5代 Annesley 伯爵の娘で、ラッセルと最初にあった1915年はまだ20歳でした。Colette O'Niel という名前で舞台女優をしており、「1916年」から1920年まで、俳優の Miles Malleson とオープン・マリッジ(+自由恋愛)の状態にありました(ラッセルと初めて会った1915年はまだ Miles Malleson と恋愛関係になっていなかったようです)。彼女にとって複数の恋人をつくることは、若いときから心理的に全く抵抗はあなかったようです。ラッセルも1911年にはアリスと別居(ただし法的に離婚が成立するのは1935年のこと)しており、オットリン夫人があまり相手にしてくれない状態だったので、他に恋人を求めるのは自然のことであったと言えます。  https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Constance_Malleson
 日本の「上流」社会(セレブ社会)も多少は似ていることがありそうです。

 
楽天アフィリエイトの成果(ポイント)は本ホームページのメンテナンス費用にあてさせていただきます。ご協力よろしくお願いいたします!
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell