バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

第一次大戦勃発後は,1949年まで,私はイタリアに戻らなかった。1922年に,ある会議に出席するためイタリアに行く予定であったが,ムッソリーニ(Bファシズムの創始者で,1921年11月に'国家ファシスタ党'の統領に就任)は - 彼はその時まだクーデターに成功していなかったが - 私自身にはどんな危害をも加えてはいけないが,私と話をするイタリア人はことごとく暗殺されるだろうという伝言を,会議主催者に送っていた。私が(会議の参加して)イタリアを去った後に一滴の血の痕跡も残したくなかったので、ムッソリーニが汚した - 私が心から愛した- イタリア行きを避けた(会議出席をとりやめた)。


After the outbreak of the war, I did not go back to Italy till 1949. I had the intention of going there to a Congress in the year 1922, but Mussolini, who had not yet accomplished his coup d'etat, sent word to the organisers of the Congress that, while no harm should be done to me, any Italian who spoke to me should be assassinated. Having no wish to leave a trail of blood behind me, I avoided the country which he defiled, dearly as I loved
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1 chap. 1
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB15-190.HTM

<寸言>
 ラッセルはイタリアに魅了され、「初婚(1894年12月)の日から第一次世界大戦の勃発にいたるまでの間,イタリアに行かなかった年はなかったように思う」と自伝に書いています。また、ラッセルは、ラッセル家の教育方針で、ドイツ語とフランス語だけでなく、イタリア語も幼いころから話すことができたと、自伝に書いています。現地の言葉をしゃべることができれば、旅行の楽しさもましたはずです。イタリアの Padva(パドヴァ)には、イタリア語とイタリア文化を主に外国人に教える Bertrand Russell Language School(1975年創立)というのがあります(イタリア語なので「ベルトランド」と発音)。ラッセルのイタリア好きに敬意を払って命名したのではないかと想像されます。
 http://www.bertrand-russell.it/ja/

 
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