バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500
 私達は,結婚生活の初めの何年かを,多くの外国の国々を見てまわろうと心に決めていた。そこで,私たちは,1895年の最初の3ヶ月間をベルリンで過ごした。私はベルリン大学に行って,そこで主として経済学を研究した(この研究成果は,翌年,ラッセルの最初の著作 German Social Democracy として出版された)。・・・私達は,週3回音楽会に行き,それから,ドイツ社会民主党員達と知り合うようになったが,彼らは当時とても邪悪な人間であると考えられていた。

We had decided that during the early years of our married life, we would see a good deal of foreign countries, and accordingly we spent the first three months of 1895 in Berlin. I went to the university, where I chiefly studied economics. ... We went to concerts three times a week, and we began to know the Social Democrats, who were at that time considered very wicked.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1 chap. 1
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB15-020.HTM

<寸言>
 グランド・ツアーという言葉を聞いたことあるでしょうか? 「17世紀初頭から19世紀初頭までイギリスの裕福な貴族の子弟が、その学業の終了時に行った大規模な国外旅行」ということですが、ラッセルの青年時代にもほんの少しだけその名残りがあったかも知れません。
 ラッセルは、ケンブリッジ大学を受験するためのクラマー(受験塾)に在校していた時(1889年8月)に、学友?のフィッツジェラルド(Edward Arthur FitzGerald, 1871-1931:後に有名な登山家。1897年,アコンカグアの初登頂を目指す遠征隊を率いて成功)の家族に招待されて、ヨーロッパ各国を旅行しています。1889年開催のパリ万博も見学し、建設されたばかりのエッフェル塔にも上っています。また、その後スイスに行き、1週間あちこちをドライブして回っています。
 ラッセルは若い時に、定職をもたず、執筆や講演(非常勤で大学で教えることも含む)によって生計をたてようと決意しています。つまり、著作の出版によって生計をたてることができるだろうとの自信を持っていましたので、父親から受け継いだ遺産は、自分(や妻アリス)の教養を高めるためにどんどん使うことができました。
 週3回コンサートを聴きにいったのも、楽しみとともに教養を高めるためという意識があったためと思われます。現代の裕福な家庭の子弟は、教養を高めるよりも遊興にはげむ人が多いようです。

 
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