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In the summer of 1966, after extensive study and planning, I wrote to a number of people around the world, inviting them to join an International War Crimes Tribunal. The response heartened me, and soon I had received about eighteen acceptances. I was especially pleased to be joined by Jean-Paul Sartre, for despite our differences on philosophical questions I much admired his courage.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 4
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB34-280.HTM
<寸言>
添付画像は、1967年から50年後に公開されたCIAの秘密文書に含まれていた写真の1枚です。ラッセル法廷が米国のCIAの監視対象であったことがわかります。
日本政府だったら安全保障上の理由などを言って非公開のままにしたり、処分したりするところですが、米国においては多くの秘密文書が期限がくれば公開されます。もちろん、50年も経てば関係者はほとんど亡くなっているので罪に問われることはありません。
ラッセル法廷においては、サルトルが裁判長(と言って悪ければ、議長)を、ラッセルが総裁(あるいは名誉総裁)を務めました。
ラッセル法廷は国際民衆法廷の最初のものであり、以後、「◯◯に関するラッセル法廷」というのが無数に開催(開廷)されています。最近では、パレスティナ問題に関して、Russell Tribunal on Palestine が設けられています。興味のある方は下記にホームページ」があります。
https://www.russelltribunalonpalestine.com/en/
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell