バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 そのような活動を展開していくにつれ,私は,しばしば称賛に値するような行為のために拘留され半ば忘れられている,40カ国以上の政治犯の釈放を求めて活動している自分に気づいた。多くの国々で投獄されていた多数の人々が,私の仲間や私の活動の結果釈放された(と聞いている)。しかし多くの人々がいまだ獄中にあり,この政治犯解放の活動は継続中である。この活動のため,私は時々困難に直面し,ソベル事件の時や,後にハインツ・ブラントの解放運動に関連して起こったように,たいへんな悪評に耐えなければならなかった。H. ブラントは先にヒットラーの強制収容所に入れられていた生き残りであったが,東独が彼を誘拐して投獄した行為はあまりにも非人道的に思われたので,私は東独政府から授与されたカール・フォン・オシエツキー・メダルを東独政府に返却せざるをえなかった。

As such work developed, I found myself working for the release of political prisoners in over forty countries where they are held, half forgotten, for deeds which were often praiseworthy. Many prisoners in many lands have been freed, we are told, as a result of my colleagues' and my work, but many remain in gaol and the work goes on. Sometimes I have got into difficulty about this work and had to bear considerable obloquy, as in the case of Sobell and, later, in regard to the freeing of Heintz Brandt. The abduction and imprisonment by the East Germans of Brandt, who had survived Hitler's concentration camps, seemed to me so inhuman that I was obliged to return to the East German Government the Carl von Ossietsky medal which it had awarded me.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 4
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB34-050.HTM

<寸言>
 Google 検索では、Heinz Brandt (1907-1944:ドイツの軍人)に関する情報はそこそこでてきますが、"t"がついている Heintz Brandt については、ラッセルの自伝の中の記述はひっかかりますが、詳細不明です。多分、東ドイツ(当時)の平和運動家ではないかと思いますが・・・。
 なお、カール・フォン・オシエツキー・メダルは1963年にラッセルに授与されましたが、1964年に返還しています。Webで検索するとそのこと(つまりメダル返還も影響して、ブラントは釈放されたこと)が書かれているものもあれば、「返還されたものは授与されなかった」と見なしているのか、授与者のリストにラッセルの名前を載せていないものもあります。(因みに、カール・フォン・オシエツキー(1889- 1938)は、ナチズムを批判したドイツのジャーナリスト兼反戦運動家で1935年にノーベル平和賞が与えられています。)

 
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