バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 リッチモンドでの暮らしは楽しいものであったが,そうでない憂鬱なひと時があった。1953年(末)のクリスマスの時,私は大きな(危険を伴う)手術を受けるために再度入院しようとして待機していた。しかも妻(エディス)や家族全員がインフルエンザで倒れていた。息子(長男)と彼の妻は 、自分達は子供の世話で疲れたのだと結論を下した。息子夫婦は,子供達と私とクリスマスの晩餐を共にした後,食べ物の残りを持ち,子供達を置いたまま家を出て行き,戻って来なかった。私達は子供達(孫達)が好きであったが,私達のそれまでの幸福かつ満ち足りた生活のまっただ中,きわめて多くの悩ましい問題を引き起こす新たな責任にぞっとさせられた。

The pleasant life at Richmond had other dark moments. At Christmas, 1953, I was waiting to go into hospital again for a serious operation and my wife and household were all down with flu. My son and his wife decided that, as she said, they were 'tired of children'. After Christmas dinner with the children and me, they left, taking the remainder of the food, but leaving the children, and did not return. We were fond of the children, but were appalled by this fresh responsibility which posed so many harassing questions in the midst of our happy and already very full life.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB32-120.HTM

<寸言>
 ラッセルはこの時(1953年末)すでに81歳ですから、「きわめて多くの悩ましい問題を引き起こす新たな責任にぞっとさせられた」というラッセルの気持ちがよく理解できます。
 通常は、子供を遺棄することなく、母親か父親のどちらかが子どもの面倒をみる場合がほとんどと思われます。長男ジョンの病気(統合失調症)が進行し、妻スーザンも子供をおいてでもついていかなければならなかった(ラッセル及びその妻エディスが子どもの世話をしてくれるはずと思っていた)のでしょうか?
 ところで、ジョンとスーザン(米国の詩人 Vachel Lindsay の娘)は1946年8月に結婚していますが、二人の間に3人の娘が生まれています。第一子 Felicity が結婚前の1945年9月、第二子 Sarah がやはり結婚前の1946年1月、第三子 Lucy は1948年6月に生まれています。3人とも重い精神的疾患にかかっています。ヴェーチェル・リンジー(1879-1931)のことはまったく知りませんが、下記のネット情報によれば、「1910年代に人気を博したが、1920年代に下り坂になり、1931年に自殺した」とあります。
https://d.hatena.ne.jp/keyword/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC

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