バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 ピーター(注:ラッセルの三番目の夫人 Patricia Spense:の愛称)が私のもとを去った時(注:1949年),私は継続してフェスティニオグに住んでおり,古い黙示録にでてくる天国を描いた版画のような,渓谷に向けての絶景'を望む丘の端(小山の崖っぷち)に建っている家で,楽しく仕事を続けていた。・・・。
 ・・・長男は,現在の仕事をやめて著述に専念したいと私に言った。私はそれを残念に思ったが,いささか同情していた。私にはどのようにして彼らを助けていいものはわからなかった。なぜなら,私は北ウェールズに住んでいるし,ロンドンにおけるかれらの世帯に対して提供するだけのお金を私は持っていなかったからである。最終的に,私は,フェスティニオグから引っ越して,リッチモンドに一軒の家を借りて,長男とその家族と一緒に暮らす計画を思いついた。

When Peter left me I had continued to live at Ffestiniog, happily working there in a house on the brow of the hill with a celestial view down the valley, like an old apocalyptic engraving of Paradise.... My son told me that he wanted to give up his job and devote himself to writing. Though I regretted this, I had some sympathy with him. I did not know how to help them as I had not enough money to stake them to an establishment of their own in London while I lived in North Wales. Finally I hit upon the scheme of moving from Ffestiniog and taking a house to share with my son and his family in Richmond.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB32-080.HTM

<寸言>
 『ラッセル自伝』の記述が時々年代的に少し前後します。ここでは、ラッセルがエディスとニューヨークで再会する少し前あるいは同時期のことが書かれています。
 妻のパトリシア(愛称ピーター)は1949年にラッセルのもとを去ります(つまり別居)が、法的に離婚が成立したのは1952年6月のことです。また、エディスと再婚(最後の結婚)するのはその半年後の1952年12月です。
 なお、ノーベル賞の賞金(たしか1,100万円)は全てパトリシアに渡しています。

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