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しかし,その時(1950年秋)の米国訪問で一番記憶に残っているのは,コロンビア大学のマチェット基金(財団)(Matchetto Foundation)のために行なった3回の連続講演(講義)であった。・・・。
私が一般の通説(正統主義)に従わないのは政治問題に限ったことではなかった。1940年に私の身に起こったニューヨークでの性道徳の問題に関する揉め事は忘れ去られていたが,どの聴衆の心の中にも,年寄りや一般の通説を重んずる人たちがショックを受けそうな事を私が話すの聞けるだろうという期待があった。人間の科学的繁殖(品種改良)に関する議論のなかにはそのような要素がたくさんあった。だいたいにおいて私は,以前(のニューヨークにおける事件の時)には非難排斥される結果となった話とまったく同じことを言って拍手喝采を受けるという愉快な経験をしたのである。
But the chief memory of this visit to America is of the series of three lectures that I gave on the Matchette Foundation at Columbia University. ...<br> My unorthodoxy was not confined to politics. My trouble in New York in 1940 on sexual morals had blown over but had left in any audience of mine an expectation that they would hear something that the old and orthodox would consider shocking. There were plenty of such items in my discussion of scientific breeding. Generally, I had the pleasant experience of being applauded on the very same remarks which had caused me to be ostracized on the earlier occasion.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB31-220.HTM
<寸言>
これらの(3回の)連続講演は、翌年(1951年)にコロンビア大学出版局から "The Impact of Science on Society" というタイトルで出版されました。
そうして、その翌年(1952年)に、他の講演もあわせて収録して同じタイトルで英米で出版されたため、書誌作成者(Bibliographer)などに混乱を与えてしまいました。
従来であれば、たとえば、"In Praise of Idleness, and Other Essays(1935)"のように、"and Other Essays" などをつけて出版していたのでそういった混乱は起きませんでした。この時は失敗したと、ラッセルも反省しました。
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