バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 私は,当時,BBC(英国放送協会)の種々の放送サービス(部門)のために,非常に多くの放送番組に出演していた。BBCは,スターリンの死に際し,私に番組出演を依頼して来た。私は −スターリンは人間としてあり得る限り最も邪悪な存在であり,ロシア内に存在するまたロシアによって脅威を与えられた,不幸と恐怖の大部分の悪の根源だと思っていたので− 出演依頼をとても嬉しく思い,放送番組でスターリンを非難し,彼が姿を消した(舞台から去った)ことを世界のために喜んだ。私は,BBCの放送コード(放送できる許容範囲)や品行方正さを忘れていた。それで,私の放送番組はついに放送されなかった。

I was doing a great deal of broadcasting for the various services of the BBC and they asked me to do one at the time of Stalin's death. As I rejoiced mightily in that event, since I felt Stalin to be as wicked as one man could be and to be the root evil of most of the misery and terror in, and threatened by, Russia, I condemned him in my broadcast and rejoiced for the world in his departure from the scene. I forgot the BBC susceptibilities and respectabilities. My broadcast never went on the air.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB31-080.HTM

<寸言>
 独裁国家、軍国主義国家、共産主義国家などではよく「粛清」(処刑)が行われてきましたが、スターリン時代にも多くの「反革命分子」が「粛清」(処刑)されました。その数ははっきりせず、立場によってその数字には大きな開きがあります。どれだけ信用できるかわかりませんが、ウィキペディアによると、ロシア連邦国立文書館が公開した統計資料によると、1921年から1938年に粛清(処刑)された者の数は 745,220人となっています(特に1937年の1938の2年間になんと約68万人が処刑されています)。スターリンが亡くなる1953年までにどれだけ処刑されたかわかりませんが、相当な数だろうと想像されます。

 スターリン存命中はスターリン批判などはできませんでしたが、スターリンが1953年3月5日に亡くなると権力闘争が起こり、フルシチョフなどによって批判が起こります。1956年のソ連共産党第20回大会でフルシチョフがスターリン批判をし、それ以降、スターリンの評価は「偉大な指導者」から「独裁者」へと一変してしまいました。

 なお、ラッセル作の小説に Nightmares of Eminent Persons (1954刊/未訳)というのがありますが、そのなか(pp.45-49)に"Nightmare of Stalin"(スターリンの悪夢) というのがありますがこれはスターリンが亡くなる前に創作されたものです。添付した画像(上のほう)はそれにつけられたイラストです。

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