ラッセル関係電子書籍一覧 |
ダーウィン主義は、種の固定(性)や創世紀が主張していると思われる(神による)創造の多くの個々の行為を捨てる必要があっただけではなかった。また、ダーウィン主義は、生命の起源以降の時間の経過を仮定することが必要であり,(時間の経過は)キリスト教正統信仰にとってショッキングなものであった。時間の経過は、動物の環境への絶妙な適応 -今日ではそれは自然淘汰の働きとして説明されている- に由来する,神意(摂理)の恩恵を支持する多くの議論を捨てる必要があっただけではなく,何よりも悪かったのは,進化論者たちが人間は下等な動物の子孫であるとあえて主張したことである。神学者や教育のない人々は進化論のこの一面に飛びついた。「ダーウインは、人間は猿の子孫だと言っている!」と,世界中が恐怖をもって叫んだ。、
Not only was it necessary to abandon the fixity of species and the many separate acts of creation which Genesis seemed to assert ; not only was it necessary to assume a lapse of time, since the origin of life, which was shocking to the orthodox ; not only was it necessary to abandon a host of arguments for the beneficence of Providence, derived from the exquisite adaptation of animals to their environment, which was now explained as the operation of natural selection -- but, worse than any or all of these, the evolutionists ventured to affirm that man was descended from the lower animals. Theologians and uneducated people, indeed, fastened upon this one aspect of the theory. "Darwin says that men are descended from monkeys!" the world exclaimed in horror.
Source: Religion and Science, 1935
More info.: https://russell-j.com/beginner/RS1935_03-210.HTM
<寸言>
<寸言>
近代以前のキリスト教の世界観では、地球上の生命は「神によって一度に創造された」とされていました。生物進化を認めることは、その「キリスト教の教義を否定」することであり、キリスト教世界においては一大事でした。
個人レベルにおいては、生まれてから死ぬまでの(私的な/個人的な)時間の経過を否定する人はいなかったでしょうが、いずれ最後の審判によって天国にいけるか地獄にいくか決められると考えていた昔の人(キリスト教徒)にとって、公的な(客観的な)「時間の経過」に対する意識は、かなり限定的なものであったと思われます。宇宙進化の138億年の「時間の経過」など創造だにできなかったことは確かでしょう。
ラッセル関係電子書籍一覧
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell