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Japan Chronicle 社主の Robert Youngは、私を奈良につれていってくれた。奈良はこの上なく美しいところであり,古代の日本をいまだ見ることができた。それから私たちは,改造という現代的な雑誌の,企業家精神旺盛な編集者達の手中に入った。彼らは、私達を京都中及び東京中を連れまわし,私たちが出かけるときには新聞記者たちに知らせるよういつも気を配っていたので,私達は絶えずカメラのフラッシュ・ライトに追いかけられ,眠っている姿までも写真に撮られた。京都と東京の両方で,私たちに会いに来るよう非常に大勢の教授たちが招待された。両都市において,私たちは極端なこびへつらいを持って扱われるとともに,警察のスパイにたえず尾行された。
He took me to Nara, a place of exquisite beauty, where Old Japan was still to be seen. We then fell into the hands of the enterprising editors of an up-to-date magazine called Kaizo, who conducted us around Kyoto and Tokyo, taking care always to let the journalists know when we were coming, so that we were perpetually pursued by flashlights and photographed even in our sleep. In both places they invited large numbers of professors to visit us. In both places we were treated with the utmost obsequiousness and dogged by police-spies.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-130.HTM
<寸言>
京都(みやこホテル)と東京(帝国ホテル)で開かれたラッセルとの懇談会には、当時の日本を代表する知識人計50名ほどが招待されています。ラッセルと各招待者との懇談はどうしても短時間にならざるを得ませんでしたが、中国の時と同様、ラッセルが各テーブルをまわって短いトークをしたものと思われます。
1921年7月21日に京大の荒木総長(医学者)と短時間会見したと当時の新聞記事に書かれていることから、京大に3年間勤務した時に京大で少し調査しましたが、短時間の会見(挨拶だけ?)のせいか、見つけることができませんでした。京都みやこホテルでの懇談会には27人(新聞報道では26名)が招待され、その中に西田幾多郎も入っていました。雑誌「改造」に「ラッセルの印象」なるエッセイを寄稿していますが、あまり有益な議論はなされなかったようです。京大哲学科はラッセルの Principia Mathematica を所蔵していますが、西田がどれだけ熟読して理解していたかは疑問です。
7月26日,午前11時より,帝国ホテルにおいて、日本の著名な思想家達(大杉栄,堺利彦,桑木厳翼,姉崎正治,上田貞次郎,阿部次郎,和辻哲郎,北澤新次郎,鈴木文次,与謝野晶子,福田徳三,石川三四郎他)と会見しています。
なお、7月28日夜,慶應義塾大学大講堂において、一度だけ、1時間ほど講演(演題は「文明の再建」)をしています(通訳は,早稲田大学教授の帆足理一郎)氏。講演開催にあたっては小泉信三(注:1933年から1946年まで慶應義塾長)などが尽力し、聴衆は3,000人以上の大盛況でした(2,000人と書いてある文献もありますが,これは座席の数であり,立って聞いている多数の聴衆をカウントしなかったと思われます。座席数が2,000で満員なら2000人だろうという記事を書くのは、まともな取材をしないで政府からの情報をたれ流しにするどこかの新聞記者と同じです。)
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