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ドーラが私の看病をしたいと望んでいた時,日本の新聞記者は,彼女にインタビューに応じるよう求めてたえず彼女を困らせていた。ついには,彼女が彼らにぶっきらぼうな態度をとったので,新聞記者たちは勘違いをし,日本の各新聞に,私が死亡したと報道させることとなった(注:『大阪毎日新聞』1921年3月29日朝刊第2面」「思想界の巨星,ラッセル氏逝く」)。このニュースは,郵便で日本からアメリカヘ,そしてアメリカから英国へと送られた。・・・その誤報は私に,(生きながら)自分の死亡記事を読むという楽しみを与えてくれた。それは,-そのような望みがかなえられるとは思ってもいなかったけれども- 私がずっと望んでいたことである。キリスト教系のある新聞が,次のような一行の私の死亡記事を載せていたのを記憶している。 「宣教師は,バートランド・ラッセル氏死去の報に接し,安堵から胸をなでおろしても許されるであろう。」
The Japanese journalists were continually worrying Dora to give them interviews when she wanted to be nursing me. At last she became a little curt with them, so they caused the Japanese newspapers to say that I was dead. This news was forwarded by mail from Japan to America and from America to England. ... It provided me with the pleasure of reading my obituary notices, which I had always desired without expecting my wishes to be fulfilled. One missionary paper, I remember, had an obituary notice of one sentence: 'Missionaries may be pardoned for heaving a sigh of relief at the news of Mr. Bertrand Russell's death.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-100.HTM
<寸言>
いつの時代にもしっかり裏を取らずに手柄をあせって速報してしまう新聞記者はいるものです。
もっと悪いのは、ラッセル側が「誤報の謝罪を新聞に掲載するように要求」しても、大阪毎日新聞はその要求を無視したことです。
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