バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 冬の北京の気候はとても寒い(注:冬は日中でも−10℃)。北風がほとんど絶え間なく吹き,モンゴルの山々から寒気(冷気)がもたらされる。私は気管支炎(bronchitis)になったが、,私はまったく注意を払わなかった。。・・・私はドイツ人経営の病院に運ばれ,その病院では,昼間はドーラが私を看病し,夜は北京にたった一人しかいなかった専門の英国人看護婦が私を看護した。2週間の間,医師団は毎晩,朝までには私は死ぬだろう,と考えた。私は,この時のことは,2,3の夢を除いて何一つ記憶していない。

The climate of Peking in winter is very cold. The wind blows almost always from the north, bringing an icy breath from the Mongolian mountains. I got bronchitis, but paid no attention to it. ...  I was moved into a German hospital, where Dora nursed me by day, and the only English professional nurse in Peking nursed me by night. For a fortnight the doctors thought every evening that I should be dead before morning. I remember nothing of this time except a few dreams.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
 More info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-090.HTM

<寸言>
 ラッセルが命を救われたのは北京のロックフェラー研究所が(ラッセルが感染しt))肺炎球菌を殺した血清を提供してくれたからでした。ラッセルは自伝のなかで次のように述べています。

「肺炎球菌を殺した血清を提供してくれた北京のロックフェラー研究所は,私の生命の恩人といってもよいだろう。それ以前においてもそれ以後においても,私は政治的に研究所の人たちに強く反対の立場をとっていたし,彼らはちょうど私(注:熱心な反キリスト教徒)の看護婦(注:熱心なキリスト教徒)が思っていたと同じように私に対して非常な恐れをいだいていたが故に,この点で,よりいっそう彼らに感謝の念を抱いている。」

 「私は政治的に研究所の人たちに強く反対の立場をとっていた」というのはどう意味かよくわかりませんが、多分、ロックフェラー研究所が細菌兵器につながる細菌の研究をやっていたので非難していたということではないかと想像されます。

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