バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 D. H. ロレンスは,大部分の人々が気がついていなかったが妻の代弁者であった。彼は雄弁であったが,妻の方がアイデアを持っていた。彼女は,精神分析というものがまだ英国ではほとんど知られていなかった頃,毎年,夏のある期間,オーストリア人のフロイト主義者たちの居留地で,いつも過ごしていた。どのようにしてかよくわからないが,彼女は後にムッソリーニやヒットラーによって展開された諸見解を時代に先んじて摂取し,そうして,それらの思想を,言わば血の意識によって,ロレンスに伝えていた。ロレンスは,本質的には小心な人間であり,怒鳴り散らすことによって,その小心さを隠そうとしていた。彼の妻は小心なところがなく,彼女による告発は,空威張りではなく,雷鳴の性質を有していた。彼女の翼の下にある時は,彼は比較的安全を感じていた。彼は,マルクスと同様,ドイツの貴族と結婚したことについて俗物的な誇りを持っており,そうして,「チャタレイ夫人の恋人」の中で,妻を驚くほど飾り立てた。

D. H. Lawrence, though most people did not realise it, was his wife's mouthpiece. He had the eloquence, but she had the ideas. She used to spend part of every summer in a colony of Austrian Freudians at a time when psycho-analysis was little known in England. Somehow, she imbibed prematurely the ideas afterwards developed by Mussolini and Hitler, and these ideas she transmitted to Lawrence, shall we say, by blood-consciousness. Lawrence was an essentially timid man who tried to conceal his timidity by bluster. His wife was not timid, and her denunciations have the character of thunder, not of bluster. Under her wing he felt comparatively safe. Like Marx, he had a snobbish pride in having married a German aristocrat, and in Lady Chatterley he dressed her up marvellously.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB21-090.HTM

<寸言>
 ラッセルは、(一時期ラッセルの愛人だった)オットリン・モレル夫人によって D. H. ロレンスに引き合わせれました。当初、ラッセルはロレンスと共同講演会をやろうとするほど惹かれ合いましたが、しだいにロレンスの考え方や激情についていけなくなり、最後は喧嘩別れの状態でつきあいは途絶えてしまいました。
 ラッセルはブルームズベリー・グループの文学者の多くともいろいろ交流があり、関係する文献がいろいろ出されています。
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