固有名と記述との間にあるもうひとつの重要な区別は、固有名はそれが名指す(名づける)何ものかが存在しなければ一つの命題において有意義なものたりえないのに対し、記述はそういう制限にしばられないということである。・・・「黄金の山は存在しない」という命題は(正確に分析すると)「『xは『黄金で出来ており、かつ山である』という命題関数は x のあらゆる値に対して偽である」となる。また、「スコットはウェイヴァリーの著者」は、(正しく分析すると)「xのあらゆる値に対して、『xはウェイヴァリーを書いた』は、『xはスコットである』と等値である」となる。ここには、「ウェイバリーの著者」という句はもはや現われていない。
Another important distinction between names and descriptions is that a name cannot occur significantly in a proposition unless there is something that it names, whereas a description is not subject to this limitation. ... The proposition 'the golden mountain does not exist' becomes 'the propositional function "x is golden and a mountain" is false for all values of x.' The statement 'Scott is the author of Waverley' becomes 'for all values of x, "x wrote Waverley" is equivalent to "x is Scott".' Here, the phrase 'the author of Waverley" no longer occurs.
Source: My Philosophical Development, chap. 7:1959.
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_07-140.HTM
<寸言>
固有名と記述を区別しない人は、「黄金の山(全てが黄金でできている山)」は「実在」しないにしても、何らかの意味で「存在」しなければならないと考えてしまう。そういうことをするとどんどん迷路に入っていって、戯言も何らかの意味があると思ってしまう。総理や官邸が使う「ご飯論法」も同様。