論理学者は、二つの句が同じ対象を指示する場合、その一方の句を含む命題は、もう一方の句を含む命題によって常に置き換え可能であり、しかも一方の命題が真であれば、もう一方の命題も真である、と考える(あるいはこれまで考えてきた)。しかし、今我々が見たように、「ウェイヴァリーの著者(or日本の総理大臣)」の代わりに「スコット(or安倍晋三)」を代入することによって、真なる命題を偽なる命題に変えることが可能である。このことは、「固有名」と「記述」とを区別する必要があることを示している。(即ち)「スコット(or安倍晋三)」は「固有名」であるが、「ウェイブァリーの著者(日本の総理大臣)」は「記述」 なのである。
Logicians think (or used to think) that, if two phrases denote the same object, a proposition containing the one may always be replaced by a proposition containing the other without ceasing to be true, if it was true, or false, if it was false. But, as we have just seen, you may turn a true proposition into a false one by substituting 'Scott' for 'the author of Waverley'. This shows that it is necessary to distinguish between a name and a description: 'Scott' is a name, but 'the author of Waverley' is a description.
Source: My Philosophical Development, chap. 7:1959.
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_07-130.HTM
<寸言>
そう言えば、安倍総理は国会(の委員会)での答弁のなかで、「私は総理大臣なんで嘘をつくはずはないのであります」と言っていた。嘘つきが「嘘を付くはずはない」というのが嘘なので、「嘘をついている」ということになるはずだが、ここには嘘つきのパラドクスが隠れている。絶対の嘘つきと考えればパラドクスに陥るが、「嘘をついたり本当のことを言ったりする」と考えればパラドクスには陥らない。