星を見ることは、生理学者が視神経(optic nerve)において発見した過程(プロセス)とは非常に異なっているように思われることから、人々は当惑させられるが(当惑するが)、それにもかかわらず、そういう過程(プロセス)がなければその人は星を見ないであろうことは明らかである。そうして,そうであるので,精神と物質の間には深い淵があり,また、消そう試みることはいくらか不敬と考えられる(ところの)神秘が存在する、と思われている。私としては、そこには電磁波のラジオによって音へと変えられる場合の神秘以上の神秘は存在しない(同程度の神秘さである)と信じている。そういう神秘は、物理的世界(物的世界)についての誤まった考えと、精神的世界(精神世界)をそれより低いと思われている物質的世界の水準にまで引き下げることになりはしないかというマニ教的な恐れとによって、生み出されたものだ,と私は思う。
People are puzzled because the seeing of the star seems so different from the processes that the physiologist discovered in the optic nerve, and yet it is clear that without these processes the man would not see the star. And so there is supposed to be a gulf between mind and matter, and a mystery which it is held in some degree impious to try to dissipate. I believe, for my part, that there is no greater mystery than there is in the transformation by the radio of electro-magnetic waves into sounds. I think the mystery is produced by a wrong conception of the physical world and by a Manichaean fear of degrading the mental world to the level of the supposedly inferior world of matter.
Source: My Philosophical Development, chap. 2,1959.
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_02-070.HTM
<寸言>
常識的には精神と物質は別物に見えるが、精神と物質とにわけること自体が間違い。昔であれば何を言っているかわからないかも知れないが、現代物理学(量子力学)の物質・エネルギーの探求によって物質の実体性はほとんどなくなってしまっているし、生理学は脳科学やコンピュータの進歩によって精神(心)の概念も大きく変わってきている。