私は,カント以来,哲学において一般的である(一般的であり続けている)プロセス(process 過程;手続き)を逆にする(逆のプロセスをとる)。(即ち)これまで,哲学者たちの間では,如何にして我々(人間)は(ものごとを)知るか(知る方法)から始め、その何をしるか(知る内容)に進む、というのが一般的(common 普通)であった(注:how から what へ)。私はこれは誤まりであると考える。なぜなら、如何に知るかを知ることは、何を知るかを知ることのひとつの小さな部分(注:部分集合)にすぎないからである。
I reverse the process which has been common in philosophy since Kant. It has been common among philosophers to begin with how we know and proceed afterwards to what we know. I think this a mistake, because knowing how we know is one small department of knowing what we know.
Source: My Philosophical Development, chap. 2,1959.
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_02-010.HTM
<寸言>
「どのように」(how)ということに関する知識は、「(何かを)知ること」ができることを前提にしている。科学はそういったものを前提にせざるを得ないが、実際は、それは確実なことではない。哲学はそういった根本的なことも問題にし、探求しなければならない。