科学は知覚と推論に依存している(依拠している)。(即ち)その信頼性は知覚がどの観察者によっても検証しうるものであるという事実によっている。神秘主義者自身は自分が知っていることに確信を持っているであろうし,科学的な検証を必要としない。しかし,その証言を受け入れることを求められる人々は,その証言を「北極に行ってきた」という人に求めるのと同種類の科学的検証にゆだねるであろう。科学は,科学である限り,結果に対して,肯定的にしろ否定的にしろ,予断を持つべきではない。
Science depends upon perception and inference ; its credibility is due to the fact that the perceptions are such as any observer can test. The mystic himself may be certain that he knows, and has no need of scientific tests ; but those who are asked to accept his testimony will subject it to the same kind of scientific tests as those applied to men who say they have been to the North Pole. Science, as such, should have no expectation, positive or negative, as to the result.
Source: Religion and Science, 1935, chapt. 7:
More info.: https://russell-j.com/beginner/RS1935_07-040.HTM
<寸言>
科学が扱えない、あるいはそういって悪ければ、いまだ扱っていない事柄はもちろんたくさんある。宗教家や神秘主義者もそれぞれ持ち場があり、宗教家などが宗教の範囲内で自分たちの信仰(箇条)や感情を述べること(布教すること)は自由である。しかし、布教する場合、感情に訴えるだけで、論理を無視すると、一部の人しか共感しない。 世界には多くの宗教があるが、主要な宗教同士で「徹底討論」をして、いずれが正しいか「白黒をつける」ようなことはしない(「宗教家全員集合! 朝まで徹底生討論で最終決着!」なんて番組は見たことない)。そうして、それぞれの「教団」の既得権を守る。 他人に押し付けない限り、どのようなことを信じようがかまわないが、他人に押し付けようとする狂信者は、人に迷惑をかけないように、必要に応じ規制されなければならない。