『バートランド・ラッセル-反核の論理学者』(学芸みらい社刊)p.127で引用されているラッセルの言葉です。(n.27)
「哲学において,倫理的中立性はこれまでめったに追求されず,またほとんど達成されてこなかった。人々は自分たちの望みを思い出し,それと関連させて諸哲学(=哲学者たち)を評価してきた。善悪の観念が世界を理解する鍵を与えてくれるにちがいないという信念は,個別科学の世界から追い出されると,哲学に避難所を求めるようになった。しかし,この最後の避難所からさえも,もしいつまでも哲学が'心地よい夢の集合'であってはならないと考えるならば,この信念は追い出されなければならない。」
In philosophy, hitherto, ethical neutrality has been seldom sought and hardly ever achieved. Men have remembered their wishes, and have judged philosophies in relation to their wishes. Driven from the particular sciences, the belief that the notions of good and evil must afford a key to the understanding of the world has sought a refuge in philosophy. But even from this last refuge, if philosophy is not to remain a set of pleasing dreams, this belief must be driven forth.
Source: Our Knowledge of the External World, 1914.
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<寸言>
論理の厳密さよりも世間受けをしたいという欲望・欲求のために真理の探求を中途半端にする人たち(哲学者)がいる。論理的に、自分の頭で考え続けることは大変なことであり、探求の結果、幸福になるとは限らない。哲学は人生観や倫理学ではないのであって、自分の好みや欲求で世界を理解したり、証拠がないのに証拠があるかのごとく強く主張するのは間違っている。
何かを主張したい時は、哲学者ではなく、一人の人間として主張すればよいのであって、あたかも哲学的真理であるかのごとく偽って主張してはならない。