『バートランド・ラッセル-反核の論理学者』(学芸みらい社刊)p.66で引用されているラッセルの言葉です(出典:『ラッセル自伝』第2巻第1章)。(n.15)
午前11時に休戦が報道された時,私はトッテナム・コート・ロードにいた。2分以内に,すべての商店や事務所の人たちがみんな通りに出てきた。・・・お互いまったく見ず知らずの一組の男女が,道路の真ん中ですれちがいざまにキスしているのを目撃した。私は,夜遅くまで一人で通りに留まり,4年前の8月(第一次大戦開戦時)の数日間そうしていたように,群衆の気分を観察した。群衆は依然として浮ついており,-以前よりもよりいっそう思慮分別なく快楽にとびつくこと以外- 第一次大戦の恐怖の時期から何一つ学んでいなかった。私は,戦争終結の喜びの中にあって,奇妙にも,自分はどこかほかの惑星から偶然地球に落下してきた亡霊であるかのように孤独感におそわれた。事実,私も喜んだ。しかし私の喜びと群衆の喜びとの間に共通なものを発見することはまったくできなかった。
At eleven o'clock, when the Armistice was announced, I was in Tottenham Court Road. Within two minutes everybody in all the shops and offices had come into the street. ... I saw a man and woman, complete strangers to each other, meet in the middle of the road and kiss as they passed. Late into the night I stayed alone in the streets, watching the temper of the crowd, as I had done in the August days four years before. The crowd was frivolous still, and had learned nothing during the period of horror, except to snatch at pleasure more recklessly than before. I felt strangely solitary amid the rejoicings, like a ghost dropped by accident from some other planet. True, I rejoiced also, but I could find nothing in common between my rejoicing and that of the crowd.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2, 1968, chapt.1: The First World War.
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB21-320.HTM
<寸言> 戦争が終われば人々は歓喜する。しかし、時が経過し、戦争を知らない国民がほとんどになれば、戦争に導く危険性があることでも、自分たちの短期的な利益になること(財界は経済的利益、政界は権力の保持)であれば、大きな争いの危険があっても平気で我を通す。現在の日韓関係も、日韓の政権が一歩でも譲れば権力を失いかねないということで強硬路線を堅持する。昔だったら戦争になったであろうことも、戦争にはならないだろうからと、自分たちは余裕があるんだと、相手を蔑視するかのように行動する。 世代が変われば、過去の大戦の恐怖から学ぶ人間は激減していく。いつか来た道・・・?