バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

『バートランド・ラッセル-反核の論理学者』(学芸みらい社刊)p.62で言及されているラッセルの言葉です。

(1914年)8月4日(火曜日)の朝,私は,オットリンと2人で,いまは大学(ロンドン大学)の建物の立ち並ぶ,大英博物館の裏手の人気の無い通りを,行ったり来たりした。私たちは,悲観的な言葉使いで,今後の見透し(将来)について議論した。私たちが予見する災い(害悪)について他の人々に話をすると,私たちは気狂い扱いされた。それでも結局は,(その後明らかになった)事実にくらべれば,私たちはおしゃべり好きな(真剣さの足りない)楽天家であった(事実の方がはるかに悲惨であった)。・・・
 第一次世界大戦の初期は,私にとって,全く驚くべきことばかりであった。私の最良の友であるホワイトヘッド夫妻でさえ,野蛮なくらい好戦的であった。


On the morning of August 4th (1914), I walked with Ottoline up and down the empty streets behind the British Museum, where now there are University buildings. We discussed the future in gloomy terms. When we spoke to others of the evils we foresaw, they thought us mad; yet it turned out that we were twittering optimists compared to the truth. ... The first days of the War were to me utterly amazing. My best friends, such as the Whiteheads, were savagely warlike.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2, 1968, chapt.1: The First World War.
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB21-030.HTM

<寸言>
 自国が惨敗すると思った戦争に参加する国はほとんどいない。甘い見通しで戦闘を始め、戦線が拡大し、メンツを保って戦争を集結することがお互いに(敵国も含め)困難になっていく。そうなった場合は、悲惨な結果が出た後でないと、戦闘はやまらなくなる。愚かなのは政府だけでなく国民であるが、いうまでもなく、政府の方がより責任が大きい。