人類(人間)の苦しみを和らげることを阻止するための神学的干渉のもう一つの機会(場合)は,麻酔の発見であった。シンプソン(Sir James Young Simpson,1811-1870:スコットランドの産科医でクロホルムの医学への応用を初めて実施)は,1847年,それを出産に用いることを勧めた・・・。
創世紀の権威が認められていない日本においては,いかなる人工的な軽減措置もなされずに,女性は依然として陣痛の苦しみに堪えることが期待されていることに注目してよいかも知れない・・・。
神学が(これまで)与えてきた害悪は,残酷な衝動を生み出したことではなく,そうした衝動に高尚(高貴)な倫理という裁可(認可/是認)を与え,無知で野蛮な時代から伝わってきた諸習慣(行為)に外見上において神聖な性格を与えたことにある。
Another occasion for theological intervention to prevent the mitigation of human suffering was the discovery of anaesthetics. Simpson, in 1847, recommended their use in childbirth, and was immediately reminded by the clergy that God said to Eve ; "In sorrow shalt thou bring forth children" (Gen. hi. 16). ... The harm that theology has done is not to create cruel impulses, but to give them the sanction of what professes to be a lofty ethic, and to confer an apparently sacred character upon practices which have come down from more ignorant and barbarous ages.
情報源: Religion and Science, 1935, chapt. 4
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/RS1935_04-190.HTM
<寸言>
なんでも「自然がよい」という根強い考え方や思いが存在している。それは現状維持の保守的な考え方の維持につながり、そこからは大きな進歩は生まれない。
保守主義者は既得権の上に安住し、自分の権力を子々孫々まで引き継ぎたいと思う。