仮に,あなたが不当にも殺人罪で告訴され,しかもあなたに不利な,一見したところ明白である十分な証拠があるとしてみよう。そうなると,国家資源(人的及び財政的)の全てがあなたの不利になる可能性のある目撃者や証拠を探し出すために動員され,最も有能な法律家が(国によって)雇われ,陪審員たちの心の中にあなたにとって不利な偏見を植えつける。その間,あなたは,まったく公的な組織の支援なしに,自分の無実を示す証拠を,私財を投じて収集しなければならない。もしあなたが貧乏だと申し立てれば,弁護士(国選弁護人など)が割当てられるであろうが,しかし,その弁護人は恐らく検察官ほど有能ではないであろう。たとえあなたが無罪放免になったとしても,映画(映画化の権利を売ること)やサンデー・プレス(から体験談を本として出すこと)で破産を免れることができるに過ぎないであろう。
Suppose you are unjustly accused of murder, and there is a good prima facie case against you. The whole of the resources of the state are set in motion to seek out possible witnesses against you, and the ablest lawyers are employed by the State to create prejudice against you in the minds of the jury. You, meanwhile, must spend your private fortune collecting evidence of your innocence, with no public organization to help you. If you plead poverty, you will be allotted Counsel, but probably not so able a man as the public prosecutor. If you succeed in securing an acquittal, you can only escape bankruptcy by means of the cinemas and the Sunday Press. But it is only too likely that you will be uniustly convicted.
情報源: Power, 1938.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER18_120.HTM
<寸言>
誰もが自分は無実の罪で訴えられて有罪になることはありえないと思っている。しかし、重大犯罪でもたまに「冤罪」は起こるし、軽犯罪だったら多分かなりの「冤罪」事件が起こっていると想像される。しかし、一度「容疑者」として報道されると、たとえ、後から無罪であることがわかっても、下手すると一生涯世間から不当な扱いにされる可能性がある。痴漢をでっちあげられることは一番多い「被害」かも知れない。