我々は人に従うよりもむしろ神に従うべきであるという原則は,キリスト教徒によって二通りに解釈されてきた。(即ち)神の命令は個人の良心に直接伝えられるか,あるいは,教会という媒体を通して間接的に伝えられるか,の二通りに解釈されてきたのである。ヘンリー八世とヘーゲルを除いて,今日まで,神の命令が国家を媒体として伝えられるという考えを抱く者はかつてまったく存在しなかった。こうして,キリスト教の教えは,個人の判断の正しさを支持するか(例:無教会派/神は個人と直接対話),教会を支持するか,どちらかの方法で,国家の弱体化を(必然的に)伴った。
The principle that we ought to obey God rather than man has been interpreted by Christians in two different ways. God's commands may be conveyed to the individual conscience either directly, or indirectly through the medium of the Church. No one except Henry VIII and Hegel has ever held, until our own day, that they could be conveyed through the medium of the State. Christian teaching has thus involved a weakening of the State, either in favour of the right of private judgment, or in favour of the Church.
情報源: Power, 1938.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER07_040.HTM
<寸言>
日本の官僚は、自分の良心や信条に従うよりも,「長いものにまかれろ」と、時の権力者に従う者が多い。総理大臣自身がトランプに服従しているので、自分の配下の官僚は自分に盲従するのが当然と思っており、「当然ですよ」という言葉を連発する。