もし,われわれの性の見方が健全なものであれば,大学生が一時的な結婚をしてもおかしくない。ただし,子供を産んではいけない(産まないという条件で)。この方法によれば,現在大いに勉学を阻害している性に対する強迫観念から解放されるだろう。子供をもうける結婚というまじめなパートナーシップヘの前奏曲として望ましい異性体験を得るだろう。また,現在,若々しい(溌剌とした)冒険を毒している,ごまかし(逃げ口上),隠しだて,性病への恐れというような付随物なしに,自由に恋愛を経験することができるだろう。
If our outlook on sex were sane, we should expect university students to be temporarily married, though childless. They would in this way be freed from the obsession of sex, which at present greatly interferes with work. They would acquire that experience of the other sex which is desirable as a prelude to the serious partnership of a marriage with children. And they would be free to experience love without the concomitants of subterfuge, concealment, and dread of disease which at present poison youthful adventures.
情報源: Bertrand Russell :Marriage and Morals, 1929
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM19-070.HTM
<寸言>
友愛結婚(試験結婚)というのは,昔(1970年代?)はやった日本の同棲に近いか? 内縁関係の場合は子供が生まれる場合もあるので、ラッセルの言う(もともとはアメリカのリンゼイ判事が提唱した)「友愛結婚」とは異なっている。
日本でも昭和6年(1931年)頃にこの言葉が流行し始めたとのことであるが、多分それは、1930年に中央公論社から発売されたリンゼイ『友愛結婚』(原田實訳、中央公論社、1930年2月5日)及び同年に公開された映画「友愛結婚」の影響が大きかったと思わえる。ちなみに原田実は当時『教育時論』編集長で,戦後は早稲田大学教授、図書館長を務めている。