バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
  
 かつて,彼が,通りの向う側で,以前私の祖母の家だったが彼女が死んだ後に美術クラブ(The Arts Club)となっていた建物のドアの外に立って,私が知らない人と熱心に話しているのを見かけた。真面目な会話をしているように見えたので,私は会話の邪魔をしたくなかった。そこで私は立ち去った。それからしばらくして彼が死んだので,もっと勇気があればよかったと残念に思った。今は,その家は,ヒットラー(ドイツのロケット弾)によって破壊されてしまい,消え去ってしまった。コンラッドは,忘れられかけているように思われる。しかし,彼の強烈で情熱的な高貴さは,私の記憶の中で,井戸の底から眺める星のように輝いている。私は,彼が私の上でかつて輝いたように,他の人々の上でも輝かせたいと思う。

Once I saw him across the street, in earnest conversation with a man I did not know, standing outside the door of what had been my grandmother's house, but after her death had become the Arts Club. I did not like to interrupt what seemed a serious conversation, and I went away. When he died, shortly afterward, I was sorry I had not been bolder. The house is gone, demolished by Hitler. Conrad, I suppose, is in process of being forgotten. But his intense and passionate nobility shines in my memory like a star seen from the bottom of a well. I wish I could make his light shine for others as it shone for me.
 出典: Joseph Conrad, 1953.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1040_CONRAD-060.HTM

 <寸言>
 日本コンラッド協会(The Joseph Conrad Society of Japan 実態は読書会)というのがあるが,現代の日本ではコンラッドはあまり読まれているとは言えない。
 http://conrad-soc-japan.org/

 吉岡栄一(著)『村上春樹とイギリス-ハルキ、オーウェル、コンラッド』(彩流社刊)の紹介文は興味深いと思われるので、引用しておきたい。

 初めて語られる知られざるハルキ像!
 村上春樹の好きなフィッツジェラルドは、『闇の奥』のコンラッドに心酔し、オーウェルは、コンラッドを政治小説の偉大なる師匠とみなしていた・・・。

「コンラッドはイギリス文学の作家のなかで、村上がいちばん言及・引用している作家である。頻度からいえばむろんアメリカ人作家ほどではないが、コンラッドが独走状態にあることは否定のしようがない。おそらく村上のコンラッドにたいする親近感のもとは、母国語ではなく異言語(英語)で小説を書いた、いわゆる広い意味での亡命作家だったからにほかならない。村上春樹の公言するところによれば、みずからも日本の文壇やその党派性になじめずに外国に移住し、日本にたいしてたえずアウトサイダー意識やエグザイル意識を持っていたことが、村上のコンラッド評価の原点となっている。そこがまた村上の非日本的な小説が生まれる磁場ともなっているのだ」(「ハルキ、オーウェル、コンラッド」より)