ショーは,(他の)多くのウイットに富んだ人と同じく,ウィット(機知)を知恵の適切(十分)な代用物と考えた。彼は,それがどんなに馬鹿げた考えであっても,その考えに賛成しない人を愚か者に見せるほど,とても巧妙に擁護することができた。私は,かつてサミュエル・バトラー(注:Samuel Butler, 1835-1902:ユートピア小説 Erehon で有名。また,生涯に渡って進化論の批判を続けた。因みに Erewhon は Nowhere のアナグラム)を讃える「エレホン晩餐会」で彼に会い,驚いたことに,彼はその聖人(バトラー)が発したすべての言葉を,さらには,オデュッセイア(注:Odyssey オデッセイ。ホメロス作と伝えらているギリシア叙事詩)はある婦人が書いたものだというような,冗談のつもりでのべた説さえも,絶対の真理(福音)として受け取っているのを知った。
Shaw, like many witty men, considered wit an adequate substitute for wisdom. He could defend any idea, however silly, so cleverly as to make those who did not accept it look like fools. 1 met him once at an "Erewhon Dinner" in honor of Samuel Butler and I learned with surprise that he accepted as gospel every word uttered by that sage, and even theories that were only intended as jokes, as, for example, that the Odyssey was written by a woman.
出典: Bertrand Russell: Bernard Shaw, 1953.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1036_GBS-060.HTM
<寸言>
ラッセルの言葉に「面白いだけで真実だと思ってしまう人が多い」というのがあるが,バーナード・ショーの言葉にも言えることであろう。彼の場合は、聴衆だけでなく、本人までそう思ってしまう傾向があったようである。