個人的な人間の存在は川のようなものであろう。最初は小さく,狭い土手の間を流れ,烈しい勢いで石をよぎり,滝を越えて進む,次第に川幅は広がり,土手は後退し,水はより静かに流れ,ついにはいつのまにか海へと流れ込み,苦しむこと無く,その個人的存在を失う。老年になってこのように人生を見られる人は,死の恐怖でくるしまないであろう。なぜなら,彼が気にかけ育んだ事物が存在し続けるからである。そうして,生命力の減退とともに物憂さが増すならば,休息したいとの思いは歓迎されざるものではないだろう。
An individual human existence should be like a river: small at first, narrowly contained within its banks, and rushing passionately past rocks and over waterfalls. Gradually the river grows wider, the banks recede, the waters flow more quietly, and in the end, without any visible break, they become merged in the sea, and painlessly lose their individual being. The man who, in old age, can see his life in this way, will not suffer from the fear of death, since the things he cares for will continue. And if, with the decay of vitality, weariness increases, the thought of rest will not be unwelcome.
出典: Bertrand Russell: How to grow old, 1951.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0958HTGO-040.HTM
<寸言>
そう言えば、美空ひばりの歌に「川の流れのように」というのがありました。下記の歌詞のように、晩年(年取った時)の姿は予想されておらず、「終わりのない この道」とあたかも死ぬことはないかのように歌われて(書かれて)います。若い時から死について思い巡らすのは「不健康」でしょうが,それでも人間が死ぬことを無視することは違った意味で「不健康」でしょう。
知らず知らず 歩いて来た
細く長いこの道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ川の流れのように とめどなく
空が黄昏に 染まるだけ
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかはまた 晴れる日が来るから
ああ川の流れのように おだやかに
この身をまかせていたい
ああ川の流れのように 移りゆく
季節 雪どけを待ちながら
ああ川の流れのように おだやかに
この身をまかせていたい
ああ川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら