バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
  

 ある晩(の食事会の席で),エドワード・グレイ卿(当時まだ公職についていなかった)は協商政策-この政策は政府によってまだ採用されていなかった-を擁護する演説を行なった(松下注:Tripple Entente 1891~1907年に,英国,フランス,ロシアが相互に締結した協定にもとづく三国の協力関係で,1917年のロシア革命まで存続)。私は,協商政策に対する反対意見をきわめて強く主張し,その政策を採用することによって戦争にいたる可能性があると指摘したが,誰も私に賛成するものがいなかった。そこで私は,その会(Coefficients 効率懇話会)から脱退した。このことから,可能な限り最も早い時期に,私が第一次世界大戦に反対し始めたことがわかるであろう。

One evening Sir Edward Grey (not then in office) made a speech advocating the policy of the Entente, which had not yet been adopted by the Government. I stated my objections to the policy very forcibly, and pointed out the likelihood of its leading to war, but no one agreed with me, so I resigned from the club. It will be seen that I began my opposition to the first war at the earliest possible moment.
 出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-160.HTM

 <寸言>
 世界史で習う「三国協商政策」。ラッセルは三国協商政策は世界大戦を導くと主張し反対。  第一次世界大戦は、サラエボ事件(オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の世継であるフランツ・フェルディアンド大公がセルビア人の民族主義者によって暗殺された事件)によって始まったと世界史の教科書に書かれているが、もちろんそれはきっかけにすぎない。  敵対的な「軍事同盟」は戦争に導くという教訓。