この問題について私が言えることは,倫理的な意見は,ただ倫理学上の公理(注:それ以上証明できない命題)によってのみ擁護することができるということだけである。しかし,もしその公理が容認できないものとすれば,もはや合理的な結論に到達する方法はまったくない。(松下注:A. J. Ayer の言ういわゆる emotive theory of value 価値情緒説/ラッセルは倫理の問題はあくまで知識論の対象にならず,論理的に導きださるものではないと考える。)
All that I can find to say on this subject is that an ethical opinion can only be defended by an ethical axiom, but, if the axiom is not accepted, there is no way of reaching a rational conclusion.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-260.HTM
<寸言>
数学は何らかの公理の上にたって構築されている。同様に、倫理学においても、どうしても証明できない公理を設定しなければ体系的な学を構築できない。 即ち、証明できない命題(心的かつ情的なもの)としての公理の上に築かれているという意味でラッセルは倫理情緒説(emotive theory of value)の上に立つのである。