いずれにせよ,自己犠牲は,普遍的になりえないので,真の教義にはなりえない。また,美徳への手段として嘘を教えることは,嘘が見破られれば,美徳は消え失せるので,最も望ましくないものである。一方,公平は,普遍的なものにすることができる。したがって,公平こそ,私たちが子供の思考と習慣の中に埋め込まなければならない概念である。
In any case, self-sacrifice cannot be true doctrine, because it cannot be universal ; and it is most undesirable to teach falsehood as a means to virtue, because when the falsehood is perceived the virtue evaporates. Justice, on the contrary, can be universal. Therefore justice is the conception that we ought to try to instil into the child’s thoughts and habits.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 7: Selfishness and property.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE07-010.HTM
<寸言>
子どもに教えないといけないのは「公平」(の観念)であり「自己犠牲」の観念(や信念)ではない。
人間は生まれつき「善くも悪くもない」が,自己犠牲の精神を子どもに教えたいと思っている者は、「人間は生まれつき悪に走りやすい」という人間観を持っているのであろう。
また、「国家(社会)のために尽くす」,「国民の命を守るために自分の命をかける」,「一億総活躍を!」といったスローガンは,為政者には都合がよいが、権力や圧政の犠牲者にとっては,一人では抗しきれない言論抑圧の一種であり、集団で抵抗しないと、いつの間にか人間の自由も個人の基本的人権もないがしろになってしまうであろう。