バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
  
 1894年の夏,医師の診断(アリスは子供を埋めない体と判明)を聞いた後,アリスと一緒にリッチモンド・グリーンを歩いたあの日以来,私は,子供を持ちたいと思う自分の欲求を極力抑えようと努めてきた。けれどもその欲求は,絶えることなくしだいにより強まっていき,ついにはほとんど耐えがたいまでになった。1921年11月,初めての子供が(ドーラとの間に)生まれると,それまでこらえていた感情が一気に解放されたのを感じ,それに続く10年間は,私の主たる目標は親たることであった。

Ever since the day, in the summer of 1894, when I walked with Alys on Richmond Green after hearing the medical verdict, I had tried to suppress my desire for children. It had, however, grown continually stronger, until it had become almost insupportable. When my first child was born, in November 1921, I felt an immense release of pent-up emotion, and during the next ten years my main purposes were parental.
 出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 4:Second Marriage, 1968
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB24-010.HTM

 <寸言>
 ラッセルの両親はラッセルが4歳になる前に亡くなっており,その後は祖父母に引き取られ、18歳でケンブリッジ大学にあがるまで主に祖母によって(祖父の邸宅である Pembroke Lodge で)育てられた。祖母は愛情はあるが厳しいところがあり,やはり母親の愛情とは異なっていた。さびしい子供時代を送り、それだけ家庭をもつ(自分の子供をもつ)ことに対する願望が大きかったのであろう。