退屈は,本質的には,事件を望む気持ちのくじかれた状態をいい,事件は必ずしも愉快なものでなくてもよく,倦怠の犠牲者にとっては,今日と昨日を区別してくれるような事件であればよい。
Boredom is essentially a thwarted desire for events, not necessarily pleasant ones, but just occurrences such as will enable the victim of ennui to know one day from another.
(28).
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA14-010.HTM
<寸言>
「事件を待ち望む心」っていうのは恐ろしい。
退屈をまぎらすためには大事件が起こってほしい。戦争でさえも。ただし,あとから後悔することになる。
この少し後のところで,ラッセルは次のように言う。
戦争、虐殺、迫害は、すべて退屈からの逃避の一部(→逃避から生まれたもの)であり、隣人とのけんかさえ、何もないよりはましだと感じられてきた(←経験して知る)。それゆえ退屈は、人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因していることから、モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。
(Wars, pogroms, and persecutions have all been part of the flight from boredom; even quarrels with neighbours have been found better than nothing. Boredom is therefore a vital problem for the moralist, since at least half the sins of mankind are caused by the fear of it.)
出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
http://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM