三浦俊彦「文明の終焉と非同一性問題−「世代」「種」を超える倫理へ−
『岐阜』(研究会)1985vol.1-2(通号n.2)pp.37-52 掲載
 
(p.3) 動物実験の是非に関して医学者の意見が分かれているのと同様に、 動物愛護団体の間でも見解が分かれている。 こちらは動物実験全般に関する見解の相違ではなく、 ある特別な動物実験に関する相違である。 最近の日本の具体的な例としては、 「動物の保護と管理に関する法律」 の改正にさいして 「動物の法律を考える連絡会」 (首都圏の11の動物愛護団体で97年10月結成) が提案した 「動物実験規制法」 すなわち 「許可制」 をめぐり、 連絡会内部に生じた意見の対立が挙げられる。
 許可制とは、 内閣総理大臣が実験動物者と実験施設の認定を行ない、 国および都道府県が不適切な飼育管理の改善を求め、 認定を取り消すことができる、 等の内容を盛り込んだ制度で、 動物実験が野放しになっている現状に歯止めをかけようというものである。 しかし、 すでに許可制を実施している欧米などでは、 従来通りの実験が 「許可」 によって追認されるだけという傾向にあり、 かえって動物実験を制度化して、 名目上の 「規制」 により反対運動の合法的無力化に成功しているとも言われる。 その現実をもとに、 愛護団体の中でも動物実験廃止派は規制法に反対し 「規制派」 愛護団体を批判しているのである。
 動物実験廃止派が許可制に反対するさらに倫理的に重要な理由は、 「命の差別化」 ということだ。 「動物実験の廃止を求める会 (JAVA)」 は次のように主張する。
許可制を導入するからには、 何らかの基準、 例えば、 動物の種別による差別化や、 同じ種類の動物でも生まれた状況による差別化などが必要になってきます。 例をあげると、 「この実験は、 猿を使ってはいけないが、 犬ならば許される」 「家庭で飼われることを目的に繁殖された犬は使用できないが、 実験用に繁殖された犬なら使用して良い」 といった具合です。 (中略) 「実験動物保護に関する欧州指針 (86/609/指令)」 には、 「野生動物や飼い主に捨てられた動物を実験用に仕入れることはできない」 としながら、 「実験には飼育された動物を使用することが望ましい」 と述べられています。 (中略) ただ、 繁殖施設で生まれたというだけの理由で、 彼らはなぜ、 動物実験による苦痛を、 虐待を甘受しなければならないのでしょうか。 私たちが求めているのは、 このような 「命の差別化」 ではないはずです。(注2)(次ページに続く)