三浦俊彦 - エッセイ索引

三浦俊彦「バーリ・トゥードと三人小説」

* 出典:『イマーゴ』1996年11月号,pp.10-13.


 八月四日、東京ベイNKホールで行われたユニバーサル・バーリ・トゥードを観戦した。二列目の招待席で見せていただいたので、迫力満点だった。出場選手にアルティメット大会優勝経験者三人を含むという豪華メンバーもさることながら、なんといっても最大の注目点は、何でもありの格闘を研究してきた日本武道傳骨法のエース二人が初めて他流試合に出陣する、その戦いぶりだった。……というふうに純粋に技術とレベルの観察ということに僕は期待を集中させていたのだが、結果として、格闘そのものの外側というか、格闘技文化のある傾向を知らされることになったのが面白かった。
 一挙に考え込まされることになったのは第一試合である。狂熱のファイトで知られる骨法戦士・小柳津弘が力ーロス・ダニーロとかいう無名のムエタイ選手と対戦。少なくともプログラムヘの登録は「ムエタイ」となっていた。そう聞いた時点で僕は、小柳津の勝利というか、楽勝を確信した。だいたい何でもありの試合では、ムエタイや空手のような打撃系専門選手が組み技系の選手に勝つのはきわめて難しいことが実証されている。ムエタイは確かに立ち技世界最強と謳われているが、グレイシー柔術の教訓に倣って寝技を洗練させてきた骨法の敵ではあるまい。もう一人の骨法戦士・大原学の相手は前回大会で北尾をギブアップさせたペドロ・オタービオだから苦戦は免れまいが、小柳津の相手はムエタイならチョロいチョロい。このような認識は誰もが持っていたはずだ。何よりも小柳津自身が試合前に語った「相手が打撃系だから大丈夫とは思っていないし、ナチュラルにやっていこうと思っています」という言葉がこの暗黙の認識を立証しているだろう。
 ところが結果は、唖然という感じの五十八秒だった。開始早々、タックルで決めにでた小柳津の右腕を、立ったままダニーロがアームロックの関節技に捕らえてしまったのだ。立ち関節は柔道の試合においてすら滅多に実現しない高度な技術だ。それをこともあろうにムエタイ戦士が? 必死にふりほどく小柳津はペースを狂わされたまま不完全な寝技にもつれ込み、下から両脚で首を挟まれ三角締めで締められてあっけなくギブアップ。ムエタイ選手が三角締めとは……。二度驚いているうちに試合は終わってしまったのである。
 「あってはならないことだが、ムエタイの選手だということで頭が動いていき、油断があったのだと思います」という堀辺師範のコメントは、弁明ではなく、事実だったろう。相手がどの格闘技を名乗るかによって、対策なり心構えなりを定めるのは当然のことだ。そこで思い出したのは、一昨年九月の第三回アルティメット大会のあれである。過去二回を連覇している優勝候補ホイス・グレイシーが、キモという無名の選手と一回戦で当たり、予想外の苦戦を強いられて、最後は腕ひしぎ十字固めで勝利したものの、自力で歩けぬほどのダメージを負って二回戦を棄権せざるをえなくなったという、あれだ。あの試合で一躍脚光を浴びたキモは、その後日本のリングにも上がって組み技中心の実力も証明されすっかり有名になったが、ホイスがオクタゴンで対時した当時は、一介のストリートファイターということ以外はキモについて何もわかっていなかった。のみならずキモは、テコンドーの選手としてエントリーしていたのである。テコンドー! ハイキックで上半身を華麗に蹴りあう打撃系格闘技。ハイキックほど実戦に向かない技はない。テコンドーとはまた、グレイシーにとってこれほど与し易い相手はないではないか。武道家の鑑みたいなホイス・グレイシーの頭にもそうした楽観が生じていたのだろう、中途半端な縦四方固めに入ったところを予想外のレスリング風ブリッジでひっくり返され、以後ホイスはすっかりペースを狂わされてしまったのである。相手がもしも柔道とかサンボとか名乗っていれば、ホイスにしてあれほどの油断はなかったはずなのだ。
 今にしてみると、キモがテコンドーを名乗ったのは明らかな大ウソ、相手の油断を誘うための場外作戦だったといえるだろう。今回小柳津をツボにはめたダニーロの場合は意図的な作戦だったのかどうかわからないが、ルタ・リーブリの特訓を積んでいたことを隠していたことは確かだ。戦いはリング上だけではない、戦前から場外ですでに始まっていたわけだ。
 思えば、最近のアルティメット大会にしろバーリ・トゥードにしろ、場外戦術が洗練されすぎてきて、かえって興趣がそがれてきた恨みもないではない。なにしろ、出る選手出る選手、たいていが複数の格闘技を名乗って出てくるのだ。以前だったら、「ボクシング」とか「空手」とか「柔道」とか、自分の背負う格闘技を一つだけ名乗る選手がほとんどだった。それが最近では、二つも三つも、人によっては四つ以上の格闘技を併記してくるのだ。相手に情報を与えまいとしているのか、負けたときに自分の背負う格闘技の看板が傷つかぬよう予防策をとっているということなのか、いずれにしてもこれでは、どの格闘技が一番強いのか、という当初の興味が著しく損なわれてしまう。勝負はしょせん肩書ではなく個人の誇りの問題だといえばそれまでだし、一つの格闘技だけやっていたのでは勝てないということも事実だろうが、純粋な流派としてどの技術体系が一番か、という興味は絶対に残る。その意味でも、骨法とか修斗とかグレイシーとか、あくまで自己の一枚看板にこだわる団体には魅力が尽きないとも言えるだろう。
 看板の誇りといえば、骨法・大原学の戦いぶりは立派だった。馬乗りから亀乗りになられてパンチの連打を浴びながら、気力で脱出し一瞬だけだが有利な体勢に持ち込めたのだ。馬乗りはマウントポジションといって、この体勢をとられると逆転不可能というのが強固な定説だった。あの状態から大原が蘇生できるとは観客の誰一人思っていなかっただろう。普通ならあれでタオル投入だが、骨法のセコンドは、大原がペドロのパンチヒジ打ち百二十発以上浴びてもタオルを投げなかった。これも場外の勝負と言っていい。骨法サイドで練ってきた「亀脱出」技術と大原への信頼をセコンドが持っていたから、観客は、格闘技史上初ともいえる鮮明なマウント脱出場面を目撃することができたわけである。結果は大差の判定負けだったが、そしてパワー・技術ともに日本のレベルはまだまだだということを思い知らされはしたが- なにしろブラジルの基準でいえばペドロも二流選手なのだ-、相手を欺きながら自陣を信頼する、格闘戦術の場外に拡がった展開を見て、今後の成り行きがますます楽しみになったことだった。
 しかしこの大会もそうした真剣勝負真剣勝負した緊迫した試合ばかりだったわけではない。無防備に大技を出し合っては受け合うというような試合もいくつかあったのだ。よく知った者どうしの対戦だと、はじめから相手の力量がわかっているので深追いせず、大雑把な展開になりがちらしい。気脈を通じるというか、すべての技を虚構化した上で、心置きなく何でもありを演じているわけだ。確かにその方が、見た目に派手で多彩な大技が連発できる。そう、ちょうどプロレスみたいにだ。「何でもあり」にはアルティメット風規制撤廃のバージョンと、プロレス風虚構的自由自在の方向との二種類ある、と新聞のエッセイに以前書いたことがあるのだが、その通りだという感を強くしたのだった。

 アルティメット的バトルとプロレス的バトル。これにちなんで、この夏僕が関わったちょっと変わった試みについて述べたい。『三田文学』秋季号の「三人小説」という特集に参加したのだ。辻原登、小原眞紀子と僕の三人が、短期間で一個の小説を創り上げるという企画である。まずはじめに座談会の場で順々に文体を即興で作って語り回してゆき、できた速記録を小説化する、という計画だった(少なくとも伊井直行編集長の案では)。だから僕は、アルティメット風何でもあり、相手を欺いたり欺かれたり、裏切られたり強引に戻したり、意見がパラバラのまま出たとこ勝負で進めていって最後に強引に束わる、という経過を予想し覚悟していたのである。しかしいざ座談を始めてみると、ストーリーや人物設定について僕は意見統一がなくても行けるつもりで進めようとするのだが、小原さんは誰を主人公に据えるか、視点をどこでどうするかについて同意しながらでないと進めない、と言い張るのだった。そうなるとどうしても、プロレス的展開になっていく。つまり、相手の反応やワザの受け方を見ながら、「面白い物語」を協力して作っていこう、という方向になる。僕が抱いていたのは、不同意どうしの網引きの結果偶然に描かれる作品、という真剣勝負だったのだが、実際はやはり、同意と妥協を確かめながらの戦いに終始することになったようだ。まあ実際のところ、プロレス方式でなければ共同制作は無理だったろう。アルティメット方式で馬乗りパンチとかローカルギャグとかセンチメンタルモノローグとかビザールナンセンスとかやりあったら、やっぱ全員が怪我してしまっただろうものな。それにしても、小説家というより詩人で、「詩の世界は殺しあいです」と言っている小原さんにして、必死で三者の同意をまとめたがったというのは、やはり「物語」が入ってくるとそうなってしまうのかなあ、という感じだった。とにかく、小説の出来はともかく(そう悪くないと思うのだけれど〕、座談会は三つ巴の結構笑えるバトルロイヤルになってます。創作過程開陳モデルとして、小説家を目指す人のためのいい勉強素材を提供してもいるのではないでしょうか。
 この三人小説は、当初は電子小説を念頭に置いてはおらず、むしろ連歌や連句のような伝統的共同制作の味わいに近いものでやっていこうということだったらしいのだが、結果としては、電子メール等を使わざるをえなくなり、かなりインターネット小説の新しいタイプを予感させる創作過程をたどることにもなった。インターネット小説というと、作家個人がホームページを開いて、言語規制とは無縁のところで自由に何でもあり小説を発表するとか、ゲームブック的に複数の視点を細かく枝分かれ的に連載していくとか、既成のホームページにリンクして無数の参照・引用の織物の中に小説を溶け込ませていくとか、著作権を放棄した英訳を公開するとかいう試みがなされているようだが、後二者に見られるような「個性信仰からの解放」を極限に押し進めると、ネット上に原稿をプールして、それを複数の作家があるいは読者が共同で推敲、永遠に変形させ続けてゆくという「n人未完成小説」のような方向もあると思われた次第だ。あるいは個性信仰の方を押し進めるとしたら、キーボードのミスタッチや変換の様子も含めて、作家の執筆経過そのものをリアルタイムでネットに公開する「小説公演」とか。そういうのを可能にするソフトも今はあるでしょう?
 いずれにしても、僕たちがやったのは、一つの場で声と表情をつきあわせながら肉弾戦を演じる形で、共同体から個性が生まれてくる芸術胚胎の原初のモデルであっただろうとともに、技術連関のネット文芸の一つの可能性をほんの1%だけだが示唆しているだろうという――新旧両方向を睨んだ、結構深い実験だったのではないかと今、思っている。そういえば個性と共同体(看板)の問題は格闘家が名乗る格闘技名の問題とも絡んできそうだしね。そうだ。そういや、十一月のバーリ・トゥードにはビッグバン・ベイダーとか、超一流のプロレスラーが出場する予定と聞いてるぞ。プロレスラーはこれまで何人もバーリ・トゥードに出て、なかなかいい線の成績を残しているが、まだグレイシーに勝ったやつはいない。ベイダーがどのくらいやってくれるのか、何でもありが「アルティメット的真剣勝負」と「見せる虚構」とに分裂するのではなく融合することができるのかとか、融合するべきなのかとか、小説家の紡ぐ虚構は個性と快を分かつのかとか、とにかくもう、世の中複雑になるともういろいろ、目が離せないですな。