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三浦俊彦「20世紀文化にとってパロディーとは何だったか」
荻野アンナ、夏石番矢、復本一郎編 『シリーズ俳句世界6 
パロディーの世紀』(雄山閣出版,1997年10月),pp.170-179.

★関連エッセイ


 1 パロディーの座標軸

 ジェイムズ・ジョイスがホメロスを写像する。マルセル・デュシャンが『モナリザ』に加筆する。トム・ストッパードが『ハムレット』を外挿する。ジャスパー・ジョーンズが星条旗を脱色する。ブライアン・イーノがパッヘルベルのカノンを変形する。ジヤック・デリダがジョン・サールを引用する。奥泉光が夏目漱石を模倣する。こうした行為は、対象とされた作品に対して、一段高レベルの作品を提示することになる。
 ここで高レベルというのは、価値的な概念ではなく、意味論的な概念だ。作品AがBをパロディー化することによって、ちょうど、Bがその題材に対して持つ関係と同等な関係を、AはBに対して持つことになる。直観的に言って、AはBの二倍濃厚な「作品性」を帯びる。つまりそれだけ「洗練されて」いることになる。「新世紀エヴァンゲリオン』がアニメとしては異例なほど熱狂的な解釈ブームを呼んだのも、一つには、それが聖書、精神分析学、先行映画やアニメなどからの「引用」をふんだんに含むとみられたからだ。パロディーは独創性に乏しく芸術的価値が低いという古来の常識に与する人も、それが洗練度において「独創的な」作品にまさる場合が多いということには同意するだろう。
 ただし、二〇世紀末的・ポスト構造主義的な、とりわけディコンストラクションの視野においては、原典とパロディーとは同じ階層の織目に相対化されるのかもしれない。曰く、究極の根拠・絶対の出発点というものはなく、いかなる「原典」も、差異の戯れによって何事かから派生してきたパロディーなのだから、と……。この見方によれば、パロディーは以前のように貶められることがなくなる反面、その特有の機能が肯定的に捉えられることもなくなるだろう。これは、ポスト構造主義自身が、公理主義・実証主義から構造主義にいたる分節的科学的思考のパロディーだからである。パロディーをパロディー自身が観察するとき、そこに階層差を認識できるはずはない(言うまでもなく「ポスト」はパロディー性の指標である。二〇世紀はポスト一九世紀として前世紀のパロディーであり、現在までのところ、最もパロディカルな時代であろう)。パロディーの文化的自律性を認知し自己実践した二〇世紀は、それゆえにパロディーの自家消滅の光景に立ち会っているとも言える。
 もちろん、二〇世紀が前世紀のパロディーだという言い方は、一つのパロディーである。パロディーの本義は、どうやら芸術概念らしいから。しかしそもそも芸術にとってのパロディーは、根本的な自己否定性を孕んでいる。パロディーは原典との関係で見ればメタレベルを標榜する他者包含的ベクトルを持つ。その反面、芸術という文化全体から捉えれば、芸術批評や芸術理論というメタレベルを芸術自体の水準内で備給してしまおうというアンチメタ、いわぱ自己完結性を志向する。メタヘ開かれようとしながらメタを消すパロディーは、まさに、その円熟とともに自家消滅を迎えるにふさわしい文化なのだろう。
 そうした論理を認めるならば(認めないならなおさら)、まず、パロディーのメタ的対象化らしき機制を隅々まで注視しなければならない。そこで問いである。最初に気ままに列挙してみた諸家の行為は、みな本当にパロディーなのだろうか。相対的段差を表わすためにそこで用いたパロディー行為の名前−写像、加筆、外挿、変形、引用、模倣− は、同種の行為を意味しているのだろうか。それらの行為のレベル自体が異なっているのではないだろうか。パロディーとひとくくりにするにはあまりに多様な所産を、二〇世紀特有に分岐したそれぞれの行為型は生み出しているのではないだろうか。
 一つの作品、たとえば小説作品Aを対象とする二次的芸術行為には、確かにさまざまな型がある。まず、Aを「転写」することができる。そのまま一字一句、引き写すのだ。転写はあまりにも単純なので芸術的興味を惹かないというならば、「創造的転写」を考えてもよい。原典を目で一字一字追いながらでなく記憶、理解、憑依などによって原典そっくりの文章を再構成する場合(J.L.ボルヘス「『ドン・キホーテ』の著者ピエール・メナール」のように)である。
 この延長上に、「模倣」がある。原典Aのタイトルを保持する場合は、「アレンジ」となる。模倣は主にAの構成、文体など形式的特徴を反復するものであり、アレンジはAを劇化・映画化する場合のように、登場人物やストーリーなど内容を反復するものである。模倣とアレンジは、原典の描く虚構世界とは別の虚構世界を意図するが、同じ虚構世界の描写を時空的にずらして反復すると、「外挿」となるだろう。いわゆる「外伝を書くこと」である。シャーロック・ホームズ物語のように、作者自身や他の著者たちによる続編外伝入り乱れ、同一虚構世界と認定するには矛盾が重なりすぎて、全体として「外伝のパロディー」が現出することもある。
 どれほど複雑に絡み合おうとも、いや、絡み合うからこそ、転写、模倣、アレンジ、外挿には、メタレベルヘの上昇はない。それでもそこにパロディーが含まれえないわけではなかろう。パロディーとは「批評的距離をもって先行作品を反復するもの」という簡潔な定義(リンダ・ハッチオン)に暫定的にしたがえば、メタレベルヘの上昇がなくとも、作家の側に「批評的距離」をとる客観的なスタンスがあれば、模倣作品、アレンジ作品などはパロディー作品たりうることになるから。逆に、本歌取りや借景、替え歌、ムード楽団によるポップス・クラシックのアレンジなど、制度的枠組として体系的な模倣慣習が確立している場合は、パロディーに到らぬものが多いかもしれない。創作のために原典をもっぱら因果的手掛かりとして利用し、意味論的対象とする意識が後景化している場合だ。いずれにせよ、転写、模倣、外挿においては、「批評的距離」が伴ってパロディーが実現する場合もあるが、それは必然的ではない。
 これに対して、原典Aを「引用」する場合、必然的に「批評的距離」が伴う。引用とは、定義上、原典を括弧でくくって、地の作品中における原典の機能、役割を表層化する作業だからである。もう一つ、「指示」もしくは「言及」という行為もある。原典内部の言葉そのものではなく、外的な名前もしくは記述によって原典を指し示す行為である(ふたたび「『ドン・キホーテ」の著者ピエール・メナール」のように)。これも、引用ほど明瞭でないにせよ、原典を別の文脈の中に置いて文脈ごと値踏みし、対象化してメタレベルに包み込んでいることは間違いない(ちなみに「原典を別の文脈に置いて文脈ごと値踏みする」場合の「文脈」とはパロディー作品それ自体なのだから、パロディー作品は自己自身の値踏みをも必然的に含む。パロディーは、必然的に自己言及なのである)。
 では、これら、引用、指示、言及といった作業は、パロディーを形成するであろうか。それらが必然的にメタレベルに上昇する営みである以上、「批評的距離」が実現されていることは確かだ。しかしだからといって、「批評的距離をもって先行作品を反復する」とは必ずしも言えない。引用や指示はほとんどの場合、「反復」と言うにはあまりに断片的(引用)か抽象的(指示)でありすぎる。サールの批判論文をほぼ全文引用して脱構築的再批判を試みたデリダの「有限責任会社abc」は稀な例外であろう。(しかしそれは「注釈」とはどう違う? 「注釈」は批評的「反復」と言えるだろうか?)
 パロディーは、したがって、模倣(反復。同一対象レベルでの平面的スライド)と引用(批評。メタレベルからの垂直的包含)との中間にある。ラフな言葉で言い換えれば、パロディーとは、模倣と引用を「批評的に反復」したものである。そう、パロディーとは、模倣と引用のパロディーなのである。(うまいぞ! パロディーの自己言及定義……。)
 ジョージ・ディッキーによれば、「芸術」とは、自己言及的にのみ(循環定義によってのみ)定義できる概念である。そして「パロディー」という概念は(たとえば「諷刺」などとは違って)その対象が現実ではなくあくまで芸術作品であるという点で、自己完結した純芸術的概念である。ということを認めれば、ここに、「パロディーという概念も自己言及的にのみ定義できるということがもっともらしくなる。パロディーはそれ自体が自己言及的性格を持つだけでなく、その定義も自己言及的形式でのみなされうる、というわけだ。この基盤の上で私たちは、模倣をパロディー化した反復的パロディー、外挿をパロディー化した拡張的パロディー(ある種の謎本とか?)、引用をパロった批評的パロディー、指示をパロった抽象的パロディー、等々を類別することができるだろう。
 ところでいま私は、パロディーは模倣、引用といった一般行為を対象にできるかのような言い方をした。そう。パロディーの対象は、個別の作品ばかりとは限らないのだ。このことがパロディーというものの理解を複雑にしている。たとえばデュシャンの『泉』などがときにパロディー芸術として論じられるが、あれはいかなる特定の先行作品を模倣してもいないし、引用してもいない。あれは描写対象も指示対象も持たぬただのオブジェであって、一見、何についての作品でもない。しかし自然対象ではなく認識の込められた芸術作品である限り、アーサー・ダントーが言うように、実はあのような作品も、ある事柄「についての」作品であらざるをえないのではないか。すなわち、芸術そのものについての作品。特定のいかなる芸術作品を反復しているのでもないが、文化としての芸術一般(創造という概念、美という概念、作品という概念、鑑賞という概念、媒体という概念・・・・・・)を批評の俎上に載せているのではないだろうか。ダダ的「反芸術」の理念に照らしても、これはもっともらしい想定である。
 ここで私たちは、パロディーの理解にとって、少なくとも二つの次元が必要であることに思い至った。まず、最初に挙げたような行為の種類(模倣、外挿、引用、指示……)。そしてもう一つ、対象の種類(個別作品、ジャンル、方法、芸術自体……)。この二つの座標軸に気がつけば、あともうひとつの座標軸に思い至ることはしごく容易だ(パロディーがその自己反省的性格からしてひとつの哲学的営みであるということにこだわる気になれば)。そう、哲学の三部門 −存在論・認識論・価値論(それぞれが他の二者のパロディーであることは言うまでもない)− のうちはじめの二つに対応するのがパロディーの対象軸、行為軸だとするなら、三番目の価値論的側面を決定する軸がもう一本要求されることになる。それがそろってこそ、パロディーの反省的性格が立体化する。価値論的側面とはもちろん、対象を嘲笑する、賞賛する、提示する、解釈する・・・・・・等々といった諸相であろう(単なる「提示」も中立的もしくは評価拒否という一種の空の価値判断。「解釈」も、評価自体は保留するにせよ何らか解釈に値する意義を尊重するという点で、一種の価値判断 −メタ評価− であろう)。
 この価値論軸はさらに、二層構造をなす。エルウィン・ロータームントによるパロディーの長い定義(リニアかつ真面目な)の一部を聞こう −「別の作品から形式的-文体的諸要素を、ときにはまた主題となる素材をも転用し……諷刺的批評の場合には、原作が諷刺の対象とされることもあるが、単に諷刺の媒体にすぎないこともある」(種村季弘、三一七〜八頁より重引)。なるほど、評価的スタンスがパロディーの対象に向かう自律的パロディーと、他のものに向かう社会的パロディーとに分ける軸がもう一つあるということだ。しかも周知の通り、そうした評価のすべてが特有のアイロニーによって表明されるために、パロディーによる評価は評価のパロディーとならざるをえない。
 ここまでの観察を整理すると次のような定義が得られたことになろうか。パロディーとは、「[批評的距離をもった反復}のパロデイーによって、芸術作品・自己(パロディー)・ジャンル・芸術等(について)、またはそれらを通じて他のもの(について〉、(諷刺)のパロディーを施す行為もしくは作品である」。
 この定義は、ここまで「引用」してきたいくつかのパロディーの定義(芸術の定義)の試みのパロディーであることは言うまでもない。反復と差異、保守と革新、諷刺的世俗性と芸術的エリート主義、メタ言語と自己言及的完結性、諷刺的意図と創造的主体縮小・・・・・・ただでさえ相矛盾する特徴を幾組も抱えるパロディーという伝統文化に今世紀的座標軸の錯綜が加わった代物を「定義」するなど、自他に対し無限の批評的距離を採らないかぎり不可能に決まっている。唯一の方策は自らで自らを定義すること、すなわち定義のパロディーを繰り返すことである(すでにして定義そのものが被定義項のパロディーなら、定義のパロディーこそ最も率直明瞭な定義?)。となるとたとえば、「政治的正しさの公式辞典 The Official Politically Correct Dictionary and Handbook (Villard Books)」は差別語狩りのパロディーであるとか、オウム真理教は国家のパロディーであるとか、二〇世紀は一九世紀のパロディーであるとかいう非芸術的な言い方こそが自身パロディー的であるぶん最も正統的な言辞であったりするだろう。
 誤解を防ぐために付言すれば(単なる誤解は理解のパロディーとは言えない) この定義不可能性ということが当てはまるのは、たぶん今のところ二〇世紀のパロディーだけである(いわんやパロディー以外のあらゆる文化現象にも一様にパロディー的読解を強要するデリダ的脱構築の、非パロディー的退屈さときたら!)。前世紀までのパロディーは、模倣、反復、批評意識など既成の定義的語彙で正面から特徴づける少なくともふりができただろう。それだけのスペースが世界には残されていたのだから。しかるに二〇世紀は、「世紀末」などという捏造概念が熟しきった高度に自意識的な文化組織だ(なにせ「世紀末」なるイメージは、史上まだ三つしか現象していないという。赤間啓之によれば)。今世紀(のパロディー)は、ただの批評意識で賄うにはあまりにも自己批評的になりすぎている。それだけ他の/中の多くのものが記述され、解釈され、引用され尽くしたのだ。
 だから「二〇世紀文化にとってパロディーとは何だったか」という問い(のパロディー?)に、当面私たちはこう答えるスペースしか残されていない。二〇世紀文化にとってパロディーとは、二〇世紀文化そのものである。むろん「二〇世紀文化にとってパロディーとは何だったか」という問いが要求するものは、二〇世紀文化にとってのパロディーの同定などではなく、むしろ記述(意義づけ)にすぎないとして理解されるべきだろう。であるからこそ、パロディーの自己述定的答えはあえて非記述的な、指示的解答とならざるをえない− 二〇世紀文化にとってのパロディーとは、二〇世紀文化そのものである、と。「二〇世紀文化」という実体化できない抽象概念を文法的に実体化したこのパロディー的問いだからこそ、その中にこのパロディー的答えが内含されていたはずである。


 2 自己言及的事例

 私たちはこうして、「パロディー」の完壁な定義に到達した。けれど、完壁な定義にいかほどの意味がある? パロディーが徹底して自己言及的な文化である以上、その定義は定義のパロディーに他ならなかった。とすれば、その定義の意味は意味のパロディーに他ならない。完壁な定義の完壁さも、完壁のパロディーに他ならないだろう。
 したがって次には、包括理論や定義のまねごとから一転して、個別具体的な事例に則したパロディー論が欲しくなるところだ(前節の抽象論へのパロディーとして)。すなわち、パロディーの徹底した自己言及的性格に鑑みつつ、私自身が関わった創作のうち最もパロディー的な創作について自己分析すること。それによって抽象論のパロディーを描かねばなるまい。私の関わった最もパロディー的な創作とは、一九九六年七月に行なわれた「三人小説 小説共同制作の試みである(「三田文学」一九九六年秋季号掲載)。
 「三田文学」編集長伊井直行の発案になる「三人小説」には、辻原登、小原眞紀子、三浦俊彦の三人が参加した。座談会形式で、かわるがわるストーリーを、細かい文体をも即興で作りながら、語りまわしてゆく。つまりはじめから、連歌や連句のあからさまな散文的パロディーという意味合いが含まれていた。
 俳句といえば、三浦はかつて『これは餡パンではない』(ルネ・マグリットのパロディー……)の中で、芭蕉の辞世の句のパロディー性を論証し(ようとし)たが、三人が三人とも、パロディーとは縁浅からぬ経歴を持っていたと言える。三浦には他に『この部屋に友だちはいますか?』というパロディー(スタンリー・フィッシュの)的タイトルの作品があり、「エクリチュール元年」では自分の可能世界論をパロディー化した。辻原は、代表作が『村の名前』というパロディー(ウンベルト・エ一コの)的タイトルの作品であるし、『マノンの肉体』では「マノンーレスコー」を解読するなど、間テクスト性を強く意識した作家である。小原も「鉢かづき」というパロディー(御伽草子の)的タイトルの小説を発表しており、小原一派の主宰する詩誌『夏夷』には詩作品とともにほとんど毎号詩人論が載っていて、「詩は先行作品の乗り越えである、コードとフォルムの闘争の産物である」旨の小原の持論が再三隠喩的に確認されている(ちなみに奥付によれば『夏夷』の発行元は「有限責任会社四夷書社」だそうだ)。むろん創作家の誰もが多かれ少なかれエクリチュールの間テクスト性を意識せざるをえない現代であってみれば、この程度の外貌で三人を「パロディー作家」と評するのは無意味だ。相対的にみれば、辻原、小原、三浦の三人とも、格別パロディー的な創作家ではない(発案者の伊井も同様)。だからこそ、このメンバーでの「三人小説」は、パロディー一般の普遍的パロディーたりえたと思われるのである。
 さて、三人小説の創作形式が連歌・連句のパロディーであった反面、小説の側からみれば、「個性」「自我」による統一的制作という近代ロマン主義的神話に対するパロディーであった(とりわけ、自作朗読会なるもの− 辻原と三浦も参加したことのある− のパロディーか)。また、作風も興味もバラバラな、初対面を含む三人が短期間で(座談会以降、一人当たりの持ち時間は約四日)百数十枚を仕上げるという暴挙は、藤子不二雄、エラリー・クイーン、ドゥルーズ・ガタリなど「協力的共作」のパロディーでもありうるだろう。形態はミステリーでいこうということで即座に同意された。ミステリーは古来、先行作品のトリックを洗練し、逆転し、置換する試みが最も頻繁に行なわれてきたいわば「パロディー文学」の代表ジャンルであることが無意識に思い出されていたに違いない。
 ただし、ミステリーのパロディーとかメタミステリーとか(綾辻行人や竹本健治のような)を企てるのではなく、伝統的形式のまっとうな物語にしようということになった。これは、三人小説という試みそのものが実験的であるがためのバランス感覚上の配慮だが、実験という行為への内的パロディーであると言えなくもない。そしてそもそも、「作者の死」や「差異の戯れ」「間テクスト性」の洗礼を受けたこの時代、建前上は作者の内面的自我などというものを信ずることが時代遅れになったポスト近代の世紀末に、改めて統一的作者の解体を大真面目に確認しようというこの企画全体が、「実験文学」「前衛文学」のパロディーであったとも言えるだろう。
 その他、この試みのパロディー性は多種多層、いくらでも挙げることができる。舞台の決定を任された辻原が携えてきたのは、江ノ島の観光資料だった。つまり三人小説は当初から、四年前に辻原が書いた幻想小説「片瀬江ノ島」(マノンの肉体」所収)のパロディーとして開始されたのだった(「片瀬江ノ島」自体、ラフカディオ・ハーンの「江ノ島行脚」の引用から始まる差異化小説である)。二度の打ち合わせを経て、七月二十九日の座談会当日に三人が語りあげた小説「弁天島トライアングル」(当時はまだタイトル未定)のあらすじは次のようなものになった。学生の自殺の背景に自分を陥れる学内政治の陰謀があると睨んだ大学教授が、自殺現場の江ノ島を単独で調査し、現場の木のうろの中に見慣れぬ記号の書かれた手紙を発見する。さらに探偵の過程で、自殺学生の幼なじみだった男女に接触する。男−篠巻は女に恋しており、教授が発見した手紙はかつて少年時代に篠巻が女に宛てて書きながら隠しておいた手紙だった(そこに書かれているのは女性器)。手紙を陰謀の重要な証拠と考える教授は、仮想敵(学内政敵の手先)である篠巻に手紙を突きつける。過去の恋を再燃させていた篠巻はそれによって悔恨と無念を募らせ、女の恋人田村に嫉妬してつけ狙う。ふたりの男は対決色を強めてゆき、ついに、教授の決定的な介入によって錯乱した篠巻が田村を殺害する。「敵の自滅」を知った教授は勝ち誇って教授会で「陰謀」を暴露する。
 世間知らずで独りよがりの推理に突っ走るアンチ探偵の教授の行動と、女をめぐるふたりの男の関係とを平行させた、いわばミステリーと恋愛小説それぞれのパロディーになっているわけだが、謎を解決したと思い込んだ教授の切り札が結局は解決どころか無用の殺人事件を引き起こしただけに過ぎず、はじめに与えられた「自殺の真相」という謎は最後になっても解決しない。結局、「弁天島トライアングル」は当初の意図とは逆に「まっとうでない」アンチミステリーに帰着してしまったのだった。めでたくパロディーのパロディーと化したのである。
 作中に「パロディー」という言葉が出てくるのは、大学教授朝比奈が江ノ島の洞窟・岩屋を歩きまわる場面である。水滴の効果音や龍神の吠え声、夜光塗料などで遊園地よろしく飾り立てられた雰囲気を、朝比奈は「観光地のパロディーだ」と評するのである。江ノ島の観光用装備と地形の幾何学性・人工性が、朝比奈に、明快かつ容易な論理的解決への確信を抱かせるのだ。朝比奈にそう言わせた感覚、つまり江ノ島そのものをパロディーと見た三浦と小原の感覚が、「弁天島トライアングル」のパロディー性を決定的にした。つまり、辻原による原作(?)「片瀬江ノ島」では、江ノ島は観光地ですらなく、神秘とノスタルジーに満ちた異空間だった。その時空を構成しているのは、「深さ」である。これに対して、座談会直前に現地を各々取材した小原と三浦は、そこになんら「深さ」を見出さず、表層的キッチュ性のみを見て、それをそのまま語りに反映させたのである。
 座談会の速記録を小説の形に整える段になり、三浦、小原の順で構造化・変形していった原稿が辻原にまわっていったとき、辻原が結局事実上一行の加筆・修正を加えることもできなくなってしまった背景には、このような「江ノ島観のパロディー化」があったに違いない。最終的な文体はすべて、小原と三浦のみによる作品となってしまったのである− 三人小説が「三人」小説のパロディーになってしまったのだ。(さらに言えば、辻原パートの一部を締切間際に文章化したのは発案者たる編集長伊井直行である。元来小説家である伊井としては当然の介入のようでもあるが、このとき作家・編集者双方のパロディーを伊井が演じていたことは確かだろう。)
 しかし存在論的部分ストーリーライン等− においては、辻原の貢献が決定因子であった。木のうろに隠したラブレターが十何年も経ってから発見されるという筋は、座談会当日の辻原の提案により急遽採用されたものである。それは実は辻原が愛読したグレアム・グリーンの短編「無邪気」(早川書房「グレアム・グリーン全集』13巻所収)のエピソードなのだ。「弁天島トライアングル」は、グリーンの短編のパロディーともなったのである。そして「無邪気」は、それこそロマンチックなノスタルジーを描いた恋愛小説だった。グリーンが暗示的に「猥画」「男女の姿態」とのみ書いているところから露骨に「女性器」だけ拡大抽出することにより(辻原は原作に「女性器」とあると説明した)、辻原自ら、ノスタルジック江ノ島小説のパロディーたるべき運命を「弁天島トライアングル」にあてがったことになる。
 パロディーという言葉は、併録された三人の「事後エッセイ」の中にも出てくる。(特集「三人小説」は、小説「弁天島トライアングル」、座談会記録「補助線の行方」、三人の事後エッセイ、編集長の経過報告文から成る。経過・反省をすべて重複明言し自己分析し尽くすメタレベルヘの差延、差延。外から論評無用の自己完結パロディー性……。)小原の事後エッセイによれば、彼女の筆は「必然的に三浦氏描くところの朝比奈教授のパロディを演じているような案配となり、しかしもともとがパロディ的な存在なので、それがパロディなのかパロディのパロディなのかよくわからな」くなってしまった。「結果的には篠巻という人物も、その狂的な高まりにおいて朝比奈をなぞる形になっていったように思う」。単一自我が創作する場合にも、たえず先行造形のパロディーが演じられているという論理を、複数自我の関与した三人小説は逆証しているわけである。この「自己パロディー行為」の重み(軽さ?)に耐えかねて辻原が途中棄権した経緯は先に触れた通りだ。
 このように、パロディー性が幾重にも重なり合った「三人小説」であるが、はじめから「パロディー」をやろうと三人(四人)が意識していたわけでは決してない。この企画が何事かのパロディーであるという発言は事前の打ち合わせや座談会では聞かれなかったし、だからこそ全体がパロディーのパロディーとなりえたのだと見ることができる。意図的・無意図的パロディーの錯綜の中で、「三人小説」はパロディーの本質通り、自らのパロディーとなりえたのである。


 3 結論のパロディー
 ここまでで私たちは、「〜は…のパロディーである」と決めつけることの、異様なほどの容易さを痛感できたはずである。パロディーは遍在する。これは裏返せば、パロディー一般の特徴づけの難しさを示すものに他ならない。特定のレベルでの特権的対象化を決して受け付けない反-対象なのだ。
 パロディーは実践されるのみであって、記述することはできない。使用されるのみであって、言及できない。何々なりと定義したとたん、その対象は、パロディーではなくなるだろうからだ。所与の対象が何であれ、定義(というパロディー)は定義対象に多かれ少なかれ意味論的影響を及ぼす。そして対象がパロディー自身の場合、それは「非パロディー化」という本質的影響なのだ。反-対象は必ず対象化をすり抜ける。とりわけ今世紀のパロディーは、定義という観測に対して量子的に感応する「不確定性原理」に支配されているとも言えよう。丸ごとの定義ではなく「〜にとってパロディーとは何か」という限定された問いであっても同じことである。
 抽象的定義も特徴記述もできないとしたら、具体的事例に沿って文脈の中で記述することはできるだろうか?・・・・・・自己言及的にならかろうじて。私が自己言及的に試みた「三人小説」の特殊記述は、しかし、自己言及のパロディーでしかなかった。というのも、辻原-小原-三浦(-伊井)混成体は、三浦が自己と呼ぶには、あまりに他者でありすぎたからである。そしてこれが肉体的にひとりの創作家であるいかなる意識についても当てはまる仕組を、三人小説は発見(予定通り。発見のパロディー!)したのである。純粋なる自己言及も、世紀末の風土では不可能なのだ。すべての自己言及は、自己言及のパロディーとならずにはいない。
 したがってこの評論は、必然に、抽象的にも具体的にも評論のパロディーとならざるをえなかった。しかも第一階のパロディーにとどまらず、無限に高次の鏡像的パロディー。この種の立論全体のそのまたパロディーが出尽くし、パロディーが飽和したところで、対象-メタ、使用-言及の人為的区別自体が霧消して、絶対的外部からのパロディー記述そのものであるポスト世紀末が兆してくるのだろう。


【参考文献】
・Arthur C. Danto, The Transfiguration of the Commonplaces(Harvard Univ. Press, 1981)
・George Dickie, The Art Circle (Haven Publications, 1984)
・種村季弘『ナンセンス詩人の肖像』(ちくま学芸文庫、一九九二年)
・リンダ・ハッチオン『パロディの理論』辻麻子訳(未来社、一九九三年)
・辻原登『マノンの肉体』(講談社、一九九四年)
・いとうせいこう、赤間啓之『世紀末は世紀末か』(早川書房、一九九五年)
・「三田文学」一九九六年秋季号(三田文学会編)

(著者プロフィール)みうら・としひこ
・昭和三十四年、長野生まれ。同五十八年、東京大学文学部美学芸術学科卒業。平成元年、同大学院比較文学比較文化博士課程満期退学。現在、和洋女子大学助教授。著書『M色のS景』『虚構世界の存在論』『離婚式』他

★右の写真:「ダリ「建築学的ミレーの晩鐘」」(ニューヨーク パールズ・ギャラリー蔵 1933)