三浦俊彦「なぜ人を殺してはいけないのか?」(アンケート回答)
* 出典:『文藝』1998年夏号(4月)
『文藝』1998年夏号 - 緊急アンケート「14歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないの?」ときかれたらあなたは何と答えますか」(特集「なぜ人を殺してはいけないのか?」)
三浦俊彦
小説家・分析哲学
人を殺すことは悪い? その根拠は? まず第一に、人を殺したがってる人間はどこにでも必ずいる、ってことを事実として認めよう。これを公理1としてくれ。第二に、「良い」「悪い」「許される」とかってのは、人間が発明した概念だってことを確認しとこうな。複数の人間から成る社会制度の中でのみ意味を持つってことね。公理2としよう。さてそうすると、「人を殺すことは悪い」はなんと数学的にいとも簡単に証明できちまうのさ。背理法でいくぜ。「人を殺すことは許される」(R)と仮定する。すると公理1により、必ず社会は崩壊する(殺人者の行為を抑止できなくなるからね)。人間全員死ぬかもしれん。人間が消滅すると、公理2により、「許される」って概念は意味を失う。すると命題Rは無意味と化す。無意味な命題は、真ならざる命題である。したがって命題Rは、自らが真ならざることを志向する命題だったことになる。つまり「Rが真ならば、Rは真でない」ということになる。矛盾が生じた。これはもとの仮定Rが間違っていたことを示す。よって、人を殺すことは許されない。証明終わり。……なっ? 簡単だろっ? 人生の大問題に見えることも、みーんなこれと同じくらい簡単なのさ。論理できっちり証明できるのさ。え? まだ不満か? なぬ? 同じ論法で「子どもを産まないことは悪い」が証明できるって? みんなが子どもを産まなかったら、やはり人類は絶滅する。よって「子どもを産まないことは許される」は意味を失う。自らを無意味化する命題は真ではありえない。よって……。ふふ。考えたな。だけどその論証にゃ飛躍があるよ。「人を殺すことは悪い」との違いを、ゆっくり考えてみてくれ。
※『論理学入門』第15節も参照