展覧会評
 
 そして考えてみれば、作品を作ることと、展覧会を催すことは、もともと、全く別個の芸術行為ではないだろうか。小説の執筆と出版は通常一続きの統一的行為であるのに対し、個々の美術作品と、それらを選択配置するインスタレーション企画とは互いに独立した表現行為と言ってよい。美術家としてのカバコフと、展覧会出品者としてのローゼンタールが分裂するのは、美術という文化の演出に内在的な、本来ごく正統的な身振りであったとも考えられないだろうか。ただ、さらに考えてみると、本展覧会はカバコフが水戸芸術館のために始めから「トータル・インスタレーション」として構想したものである以上、個々の作品制作と展覧会開催との間に通常の展覧会にあるような裂け目はないはずだ。そこへあえて明示的な裂け目を自己分裂の形で導入してみせた本展覧会は、きわめて逆説的なコンセプチュアル空間を形成することになる。「これはモダニズムの大家の回顧展に対するアイロニーです」という趣旨のカバコフの発言(U,p.58)は、このような、作品とインスタレーションとの緊張関係といった観点からこそ真に理解することができるのかもしれない。いずれにせよこの虚構の展覧会は、いかなる古典的コンセプチュアルアートに比べても、最も過激な形で美術に文学(虚構)を導入した試みと言えるだろう。
 架空の画家の展覧会という設定は、この水戸芸術館のインスタレーションが初めてではない。92年にカバコフは、ニューヨークのロナルド・フェルドマン・ギャラリーで、1884年生まれの架空の画家ステファン・ヤコレヴィチ・コシェレフによる『美術館での出来事、あるいは水の音楽』という展覧会を開いているという(規模は今回よりはるかに小さかったらしいが)。同じモチーフのこうした反復を見ると、単なる実験的奇想という他に、なにかカバコフ自身の生活の内的衝迫が水源となっているのではないかという推測が当然浮かんでくる。そして実際、ローゼンタールがカバコフ自身と同じウクライナ生まれのユダヤ人として設定されていること、しかも没年1933年がカバコフの生まれた年であることを考え合わせると、カバコフはローゼンタールを単なる仮想自我ではなく、自分の「前世」と位置づけているのではないかという確信が強まる。ソ連政府の度重なる芸術への干渉に対して複雑な、アンビバレントと言ってよい微妙な間合を取りつづけたカバコフが、もう一度、というよりすでに一度、新政府誕生をリアルタイムに見ながら芸術活動していたとしたなら自分は何をしたであろうか、という思考実験をたえず試み、ついに思考実験をはみ出した「内面の現実」へ膨れ上がらせていったということではなかろうか。(次ページに続く)