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バートランド・ラッセル『反俗評論集-人類の将来』第1章(松下彰良・訳)

* 原著:Bertrand Russell: Unpopular Essays, 1950

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第1章「哲学と政治(1947)」n.28


ラッセル英単語・熟語1500
 経験主義(者)の認識論(知識論)は -私はいくらか留保付きでそれに固執するが- 独断と懐疑主義の中間にある。ほとんど全ての知識はある程度疑わしい、と経験主義の知識論は考える。ただし、その疑いは、かりにそれがあるとしても、純粋数学や現在の感覚による認知(sense-perception)の事実に関しては無視できる、というのがその主張である。 知識として通っているものの持つ疑わしさは程度問題である。(たとえば、)私は最近、アングロサクソンのブリテン侵攻に関する本を読んで、今ではヘンギスト(注:5世紀後半のイギリスでアングロ・サクソンのブリタニア大挙移住を最初に率いた伝説的首長)が存在したことには確信を持っているが、ホルサ(注:ヘンギストの弟)については大いに疑問を持っている。(また)アインシュタイン の一般相対性理論は多分概して真理であるだろうが、宇宙の外周(大きさ)(the circumference of the universe)を計算するようになれば、後世の研究がいくらか異なる結果を与えると期待することも許されるかも知れない(注:最新の研究では宇宙の大きさは約138億光年/多分もっと大きくなると予想されます)。現代の原子理論実用的な真理を持っている。なぜなら、それは原子爆弾の製造を可能にするからである。この理論の帰結は道具主義者がふざけて(facetiously)「申しぶんなし」と呼ぶところのものである(注:道具主義とは、科学理論を、観察可能な現象を組織化・予測するための形式的な道具・装置であると見なす立場で、観察可能な現象の背後にある観察不可能な隠れた実在の真の姿は知りえないとする。 この点で科学的実在論と対立する。)。しかし、何かまったく異なる理論がやがて(in time)発見されて、観察される諸事実をもっとよく説明するようになることもありえないことでではない。科学理論は、さらなる調査研究を示唆する有力な仮説として、また何らかの真理の要素をもち、それによって(in virtue of そのおかがで)既存の観察結果をつなぎ合わせる(colligate くくる)ことができるものとして、受け取られる。しかし、分別ある人なら、科学理論を不変で完全なものだとは決して見なさない。

Philosophy and Politics, (1947),n.28

The empiricist’s theory of knowledge -- to which, with some reservations, I adhere -- is half way between dogma and scepticism. Almost all knowledge, it holds, is in some degree doubtful, though the doubt, if any, is negligible as regards pure mathematics and facts of present sense-perception. The doubtfulness of what passes for knowledge is a matter of degree; having recently read a book on the Anglo-Saxon invasion of Britain, I am now convinced of the existence of Hengist, but very doubtful about Horsa. Einstein’s general theory of relativity is probably broadly speaking true, but when it comes to calculating the circumference of the universe we may be pardoned for expecting later investigations to give a somewhat different result. The modern theory of the atom has pragmatic truth, since it enables us to construct atomic bombs: its consequences are what instrumentalists facetiously call "satisfactory." But it is not improbable that some quite different theory may in time be found to give a better explanation of the observed facts. Scientific theories are accepted as useful hypotheses to suggest further research, and as having some element of truth in virtue of which they are able to colligate existing observations; but no sensible person regards them as immutably perfect.

(掲載日:2023.08.27/更新日: )