バートランド・ラッセル『反俗評論集-人類の将来』第1章(松下彰良・訳)
* 原著:Bertrand Russell: Unpopular Essays, 1950
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第1章「哲学と政治(1947)」n.17
しかし、もし私達がこれらの人々(の言うこと)に同意するならば、我々はヘーゲルに対して、神が禁止する不公正な態度をとっていることになるであろう。というのは、ヘーゲルは次のように指摘する(point out)であろうからである。(即ち、)絶対者(the Absolute)は、アリストテレスの神のように、自己以外の全てのものは幻想(ilusion 錯覚)であると知っているので、自己以外の何ものについても考えない一方、、我々(人間)は、--時間(的経過)の奴隷として、現象の世界に生きることを強いられており-- ただ部分をみるだけであり、神秘的な洞察の瞬間に全体をぼんやりと理解(把握)することしかできず、錯覚による幻想の所産である私達(人間))は、あたかもホーン岬は自立して存在していて、単に神の心のなかの観念ではないというように考えざるをえない(のである)。我々がホーン岬のことを考えているということを考えるとき、現実に生じていることは、絶対者が一つのホーン岬的思考(という現象)に気づいているということなのである。絶対者はまさに実際にそのような思考、あるいはむしろ、絶対者が時間を超えて考えかつ存在するという一つの思考の(その一部としての)ホーン岬的側面といったものをもつ(のである)。そしてこのことがホーン岬に属する唯一の実在性なのである。しかし我々はそのような高みに至ることはできないので、ふつうの地理学的方法でホーン岬のこと考えるのに精いっぱい(doing our best)なのである、と。
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Philosophy and Politics, (1947), n.17
But if we agreed with these people we should be doing Hegel an injustice, which God forbid . For Hegel would point out that, while the Absolute, like Aristotle's God, never thinks about anything but itself, because it knows that all else is illusion, yet we, who are forced to live in the world of phenomena, as slaves of the temporal process, seeing only the parts, and only dimly apprehending the whole in moments of mystic insight, we, illusory products of illusion, are compelled to think as though Cape Horn were self-subsistent and not merely an idea in the Divine Mind. When we think we think about Cape Horn, what happens in Reality is that the Absolute is aware of a Cape-Horny thought. It eally does have such a thought, or rather such an aspect of the one thought that it timelessly thinks and is, and this is the only reality that belongs to Cape Horn. But since we cannot reach such heights, we are doing our best in thinking of it in the ordinary geographical way.
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(掲載日:2023.08.12/更新日: )