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朝永振一郎「パグウォッシュ京都シンポジウムに寄せて(下)」

* 出典:『朝日新聞』1975年8月28日夕刊?
* 「パグウォッシュ京都会議開く、完全核軍縮求めて科学者ら36人が参加」
* ラッセル=アインシュタイン宣言の着想

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吹き飛んだ楽観的空気

 一九六〇年代の後半になって、現実の国際情勢のがわから、パグウォッシュ会議内の楽観的空気をふきとばすいくつかの問題があらわれはじめた。それは国際世論の圧倒的な要求である全面完全軍縮がその後一向に進まないことであり、またすでに第一回会議の声明末尾で主張された米ソ核競争の破棄は一向実現しないどころか競争はますます激化してきたことである。またそのことと無関係ではないが、核武装を欲する国の増加のきざしが不気味に顕在化してきたことである。言うまでもなく、ベトナム戦争も楽観的空気への警鐘であった。
 楽観的空気の産物の一つに核抑止論があったことは前にのべた。そもそも核によって戦争を抑止するという考えはすでに第二回会議に出されている。この考えをささえる論理は大ざっぱに言うと次のようになる。まず米ソ両陣営が相互に均衡した核戦力をそれぞれ保持しておく。そのときその戦力は、どちらもが一挙に相手の戦力を全部を破壊するには不十分なようにしておく。そうすれば、戦争をしかけた側も相手の残存戦力によって、したたか報復を受けることなる。だからそれに対する民衆の恐怖から、どちらの政府も戦争のしかけ人にふみ切ることはしないだろう。
 しかしこの種の抑止論がしばしば恐怖の均衡論だとよばれるように、実際に両陣営の行動を支配するものは、それぞれの核戦力の大小であるよりも、むしろ報復される恐怖という主観的なものの大小である。従ってこの抑止体制は決して安定ではないだろう。なぜなら一方の恐怖が大きいなら、その側は自分の戦力を増強したくなるだろう。そしてそれをやれば、それは他人の側の恐怖をそそり、従ってその側は自己の戦力を増強したくなるだろう。そのようにして戦力増強の悪循環はかぎりなく続く。このように、抑止体制は必然的に巨大化に向かって自己運動する運命を持っている。
 一九六〇年代前半まで、このような自己運動は目に見えるほど顕著でなかった。しかし後半になってそれが今までになくはっきりした形であらわれてきた。
 それは米ソ両国において宇宙開発技術やコンピュータ技術の急激な発展と、核兵器開発とが結びついて、以前には技術的に困難だと思われた新兵器体系があらわれたことである。ここで説明ぬきにそれら新兵器の名称だけをのべるが、一九六七年にソ連は、米の核戦力に対する「恐怖」からABMを開発しその配備を終わった。これを知ったアメリカは自己の戦力の相対的弱化の「恐怖」から直ちにABMを開発し、その上さらにMARVの開発をはじめようとしている。そこでソ連もMIRVの開発をやり出した・・・。われわれは目の前に抑止体制の自己運動を見せつけられているのである。米ソ両国の間にはデタントと言われる緊張緩和の傾向が見られつつあるのは歓迎すべきことだが、それにもかかわらず両国は現在この自己運動を止めることに成功していない。
 

深刻な核拡散の顕在化

 さらに楽観的空気を打ち壊したものは、核拡散の顕在化である。この傾向は原子力発電の増大にともなうプルトニウムの増加から、このままでは何年か後に手におえない問題になると考えられている。その上、現在世界には中東紛争をはじめ、いたるところ紛争が存在し、あるいは紛争の種が潜在している。
 これらの情勢は、二十年前にあらわれたラッセル=アインシュタイン宣言の冒頭の一節「私たちは人類の直面する悲劇的な情勢の中で科学者たちが会議に集まって…」をあらためて想起させる。わわれはこの宣言の全体を今日の目でもう一度かみしめなおす必要があるのではないか。今度のシンポジウムの組織者としてわれわれはそのように考える。そしてパグウォッシュ会議声明の末尾で言われたように、新しい時代の建設にこの京都のシンポジウムがささやかながら貢献することを心から希(ねが)うのである。(東京教育大学名誉教授)