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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

別宮貞徳「刷数多きが故に貴からず」- バートランド・ラッセル(著),日高一輝(訳)『人類に未来はあるか』の誤訳


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* 初出:『翻訳の世界』1980年12月号pp.88-94.
* 再録1:別宮貞徳『誤訳迷訳欠陥翻訳』(文藝春秋,1981年6月 253pp.)pp.188-201.
* 再録2:別宮貞徳『特選・誤訳迷訳欠陥翻訳』(ちくま学芸文庫,1996年5月刊)

* 別宮貞徳氏略歴:1927年東京生。東大動物学科,上智大学ラテン哲学科を経て,同大学英文学科を卒業/上智大学文学部教授/専門は比較文学。
* 本エッセイについて:日高一輝氏は,『世界はひとつ,道ひとすじに』を読んでいただければよくわかるように,学者というよりは(あるいは学者ではなく),'求道者'という言葉が最もあてはまる人物です。ラッセルの『人類に未来はあるか』における誤訳は,別宮氏が指摘されるとおりであり,日高氏による『ラッセル自叙伝』その他の邦訳にも誤訳がかなりみられます。また,由良君美氏による『理想』誌に載った手厳しい批判もあります。しかし,由良氏による,日高氏の人格を否定するような一部の発言も一面的なところがあると思われます。
 ということではありますが,ラッセルを適切に理解するためには,重大な誤訳には気をつける必要があり,別宮氏のこのエッセイも十分参考にする必要があると思われますので,ここにご紹介するしだいです。


 もしもし。ああ,Nさん,どうしたの? ええっ,絶版! またか。困るなあ。いくら欠陥候補をたくさん用意しといても,原本がないんじゃあどうしようもない。お手上げですねえ。それにしても妙な話だ。日本と外国じゃ本を出版するシステムがちがって,売れる分しか印刷しないからそうなるんだろうけど,ただ絶版になってるだけじゃなくて,こっちの図書館のどこをさがしても見つからない。いったいなぜそんな本がどんどん翻訳されるんだろうって気がしますよね。さすが翻訳王国だ。訳者はいい本だと思ったからこそ翻訳したんだと思いたいし,版元も出す値打があると踏んだんでしょうが,そんないい本なら原本の一冊ぐらいすぐ手に入ってもよさそうなものじゃない? 古い本ならともかく,つい最近翻訳されたばっかりの本がねえ。どこかおかしいって感じ。それも1つ2つならともかく,えらんだ本の半分がそうなんだから。いやもっとかな。
 しょうがない。前に話した奥の手で行きましょうよ。そうそう,古い翻訳も範囲にいれるってことね。いや,もちろん,そちらのおっしゃるとおりただ古いだけじゃだめ。たしかに時評ってのは,本来新刊ものを対象にするわけで,古いものを問題にするのは current とはいえないもの。だいたい昔の翻訳作品にケチをつけたって,誰にも面白くないし。だけどできたのは古くても,いまだにどんどん出ているもの,つまり current なものなら,時評の対象にして一向さしつかえないと思う。それだけ読まれていて,社会的な影響力を持っているわけだから。それに,長い間版を重ねているうちには,訂正なり改訳なりをする機会は十分あったはずでしょう。それが昔出たときと同じように欠陥をかかえているとすれば,訳者,出版社の方に欠陥の意識がないと見ていいと思うのね。うん,そうそう。新装版なんかなら申し分ない。新装のときに改訳できたはずだから。それにね,ずーっと版を重ねてるってのは,それが定訳として世間では通用してるってことで,口幅ったい言い方だけれど,そういう偶像を倒すのも批評の役割だろうし。
 いいでしょう? で,何をえらぶって,例のやつ。Nさん,見たかなあ。朝日の記事? そうそう,ラッセルの『人類に未来はあるか』ね。朝日の文化欄(昭和55年11月5日,朝日新聞タ刊)にエッセーをたのまれたついでに,これを「欠陥翻訳時評」に出すって予告まで書いちゃったんだけど,予告した以上,本番を出さないわけにはいかないじゃない。予告時評なんてあんまり聞いたことないけどさ。出版社? ああ,理想社です。ラッセルの本は大ていあそこから出てます。(松下注:みすず書房からもたくさん出ている)
 新聞にも紹介したように,初版第1刷が昭和37年6月で,今年の4月にはなんと第27刷。ちょっとしたロングセラーですよ,たまにはそんな本も翻訳してみたいな。だけどね,山高きがゆえにとうとからずって言うでしょう。女房古きがゆえによからずとかさ。そんなのない? まあいいや。とにかく,本も売れるがゆえにとうとからず,刷数多きがゆえにとうとからずでね。とうといどころか,よくもこんな翻訳が18年間も出づっぱりでいられたもんだと,悲しくなってくる。

 新聞に書いたやつから行きましょうか。質量がエネルギーに変わるときのアインシュタインの公式ね。

■発生するエネルギーは,光の速度の自乗で繁殖して,失われる質量とつねに等しい...(p.22)

 ばかばかしいったらありゃしない。もちろんE=mc2のことですよ。え,なんですって。そんなの知らない? そりゃ困るな。高校の教科書にのってるから,今は大ていの人が知ってるはずって書いちゃったじゃないの。ちょっと待ってくださいよ。...
 やっぱりあった,あった。「相対性理論によると,質量とエネルギーは等価で,m〔㎏〕の質量と等価なエネルギーE〔J〕は,真空中の光の速さをc〔m/s〕としてE=mc2で示される。」(『標準高等物理II』講談社) 知らない人は高校の授業をサボってるんですよ。まあ高校の授業を少々サボったってどうってことないけど,だからこの文章の意味わかりませんじゃあ翻訳者失格。どうして「繁殖」なんて奇妙キテレツな言葉が出てきたかっていうと,

… the energy generated is equal to the mass lost multiplied by the square of the velocity of light. (B. Russell; Has Man a Future? George Allen & Unwin, 1961, p.19)
〔試訳〕発生するエネルギーは,失われた質量に光の速度の2乗を掛けたものにひとしい。

 multiplied がなんと「繁殖した」になっちゃった。square を「四角」にしなかったのはめっけものかもしれませんな。うちの息子がこれを読んで笑うこと笑うこと。「光の速度の自乗で繁殖した」なんて,あんまりとっぴで,こりゃパロディ風SFのネタに使えそうだって。読者の笑いが,訳者,出版社の耳に18年間入らなかったんですかねえ。それとも,何万だか何十万だかの読者が,みんな大まじめで「繁殖した」を読んでいたんだろうか――ああ,うすきみ悪い。とっぴなのはまだまだあります。

■今までのうちに,世界のことごとくの人が,過去の水爆実験からの少量の放射能をその体内に宿している。つまり「出来たての」ストロンチウムを骨と歯に,「ほやほやの」沃素を甲状腺にやどしている。(p.48)

 どうです? まるで「出来たての」肉まん,「ほやほやの」あんまんみたいな話じゃないですか。まあ・まんじゅうならできたてのほやほやで湯気が立っているようなのがいいんだろうけど,ストロンチウムとか沃素とかは,そうじゃなくて,少し冷えて固くなったのがよろしいってことかな。実はこの「出来たて」「ほやほや」は hot の訳。「放射能を持った,放射性の」を意味することは,辞書にもちゃんと出てますよ。
 コバルト爆弾の説明にも面白いのがありました。

■これはまさしく現在の水爆のようなものである。ただその外側の包被がコバルトで出来ていて,ウラニウムでないという点を除けば。これはその爆発によって,放射能型のコバルトを出し,それがだんだんと腐るようになる。(p.99)

 コバルトが「腐る」ねえ。この人,原子物理と食品衛生をまちがえてんじゃないですかな。「ほやほや」だの「腐る」だの。腐ったコバルトにご注意。下痢をおこします,なんて。これは decay の誤訳。放射性物質には姶終使われる言葉で,「自然崩壊」のことですよ。ああ,そう言えば「放射性物質」もおわかりじゃないらしくて,原爆の核分裂のことを書いたくだりで,

■全般的に言って,放射性能の実質においてはこの分裂が変わらない一定の速度で進行する。(p.22)

 この「放射性能の実質」ってのは,radioactive substances で,いわずと知れた「放射性物質」。こんなふうに並べると,物理関係のことばかりまちがえているみたいだけど,とんでもない。

■西側には,一般に知られている以上に,より大きな統制と,より大きな民衆を迷わす宣伝が「国教」によってなされている。(p.57)

 自由主義世界も口で言ってるほど自由じゃないと書いてるところですけどね。さて,この文章を読んだ人は,「国教」って何だろうときっと思いますよ。マメな人は『広辞苑』など調べてみる。,そうすると「国家が認めて,国民の信奉すべき宗教と定め,国務の一部としてその教務を取扱い,これを保護・支配する宗教」なんて書いてある。なるほどねえ,昔の日本の神道みたいなものか。しかし,西側諸国にそんなものあるのかなあ,と思ってその道の物知りにきけば,今はイギリスぐらいじゃないの,アングリカンはイギリス国教ってことになってるから,と答えるんじゃないですかね。それじゃ,この文章おかしいですよ。誰だっておかしいと思う。ところがこの訳者は思わない。編集者も思わない。18年間思わないできちゃった。なんとねえ,この原語は Establishment です。今はこれを「体制」と訳すのがいいってことは,それこそ常識でしょ。
 パグウォシュ会議の声明書のはじめの部分にもひどいのがあるんです。最初に,科学者が集まって会議を開く,という切出しがあってその次の文章。

■この際,われわれが語りつつあるのは,この国の国民とかあの民族の一員とか,禁欲派の信者とか,教義派の会員とかとしてではなく,人間としてであり,人類のメンパーとしてである。(p.76)

ほかのところは今とやかく言わないことにして,「禁欲派」に「教義派」ね。こんなものついぞ聞いたことないですよ。なんにも知らない読者は,ラッセル協会のえらいさんがラッセルの草案を訳しているんだから,そういう宗教団体がきっと外国にはあるんだろうとでも思ってす通りするかもしれないけれども,ラッセルご当人だってそんなもの知ってるわけない。存在しないんだから。だいたい,かりにあったとしても,そんなこまかい分類が,この文脈で出てくるはずないじゃないですか。原語は continentcreed

 We are speaking on this occasion, not as members of this or that nation, continent or creed, but as ...(p.59)

continent を「大陸」と訳さない人は,何万人何十万人,いや何百万人に1人くらいの異常な精神構造の持主でしょうね。辞書には continent の形容詞としての意味に「禁欲の」っていうのも出てはいるけれども,dog に副詞として「極端に」という意味もあるからって,It is a dog. を「それは極端だ」と訳す人がいたら――頭がどうかしてると,誰でも思いますよ。要するに,英語がまるでわかっちゃいないってことですね。

■そのような死の戦闘へと発展しないよう,保障することのできる大国が,戦争に従事していいものであろうか。(p.69)

なんだかもっともらしいでしょう。ところが原文は,

 Should the Big Powers engage in war, who can guarantee that it will not develop into such a deadly struggle?(pp.53-54)

 ごらんのとおり,高校生,特に受験生にはおなじみの文型でね。辞書をひいていいっていわれりゃ,
 かりに大国が戦争を始めるようなことにでもなれば,このような死闘にならないと誰が保証しえよう。

くらいの訳は大ていしますよ。このラッセルの本を読むほどの学生なら,英語の力はこの訳者に負けないと自信を持ってもいいですね。わからなければ,翻訳がおかしいんだ,と。
 とにかく,respective Government(それぞれの政府)を「尊敬すべき政府」(p.68),have got to を「せねばならなかった」といつも過去に,in any given month(何月でも)を「ある特定の状態の月が原因になって」(p.50)と,天体の月のように訳すんだから,まちがいの多さは推して知るべしですよ。

■このようにしてかれら〔人間〕は種族の結合と組織的な戦争とを通して,幾世紀もの間,社会的共同の必要さをもって,過去の闘争がかれらのうちに育くんできた本能的な残忍性や嫌疑を緩和したのである。(p.13)<

ひどい文章でしょう。何をいってるんだかさっぱりわからない。「社会的共同の必要さをもって,残忍性を緩和する」ねえ。

 In this way, through tribal cohesion and organized war, he{Man} reconciled, for many centuries, the need of social co-operation with the instinctive ferocity and suspiction which past struggles had bred in him. (p.12)

なんのことはない,訳文がでたらめなんです。

〔試訳〕このように,人間は,部族が一致して計画的に戦争をしかけることによって,何百年というもの,社会的な協力の必要性と,過去の闘争でつちかわれた残忍性や猜疑心を2つながら満足させてきた。

■われわれが住むこの世界には,従来,あらゆる危機に臨んで,よりよく分別を保ったところの死をえらぶという積極的,そして支配的な意志がある。もしわれわれが生き残るものとすれば,こういう状態をつづけてはならない。われわれがこういう状態にありながらも,しかも,そこから抜け出す方法について,わたくしはこの書のあとの方で提案しよう。(p.53)

これもさっぱり意味が通じませんよね。「死をえらぶ意志が分別を保った」って何ですか。だいたい,積極的に死をえらぶのは,分別があるとはいえなくて,誰が考えたって,分別ある人はやたらに死のうなんて言わないものでしょう。「こういう状態をつづけてはならない」――あたりまえだ。だけど,「こういう状態にありながらも,しかも,そこから抜け出す方法」――そんな方法あるわけない。人間はある場所にいながら,そこにいないなんて器用なことはできないんで,それができるんなら,アリバイはナンセンス。推理小説作家は仕事がなくなっちゃいます。

 In the world in which we are living, there is an active and dominant will towards death which has, so far, at every crisis, got the better of sanity. If we are to survive, this state of affairs must not continue. In the remainder of this volume, I shall try to suggest ways by which we may yet emerge. (p.41)

〔試訳〕われわれの住むこの世界には,死を指向する意志が支配的に働いていて,それがいよいよというときにはきまって分別の方を圧倒してきた。…この本のあとの部分では,それを脱する方策を示すことにしよう。

get the better of の意味を知らないのは論外として,最後のところは,何を血迷ったんですかねえ。

 もう一つ,面白いのがあるんですよ。「分別を保ったところの」。いや,なつかしいなあ。昔はよくありましたっけ。関係代名詞は何が何でも「ところの」で片づけた。こんなものジュラ紀の恐竜みたいに死に絶えたと思っていたのに,まだ生きてたっていうわけ。こりゃ恐竜トコロノザウルスの復活だ。ほかにも,「天体に住んでいるかもしれないところの」(p.153)とか,「相手に対してやり出すかも知れないところのものに対する恐怖」(p.154)とか――ずいぶんねじくれた恐竜だな,これは――こういうのがうじゃうじゃいるみたいね。

■世界政府に味方する主な議論は,もしそれが適当に構成されれば戦争を防ぐことができるということである。たとえ,「世界政府」と呼ばれるような超国家組織を構成するのはかなり容易であるとしても,それが有効に戦争を喰い止めることにはならないであろう。その程度の政府なら,あらゆる重大武装兵力を「世界政府」の指揮下におさめるのよりも,そう反対意見にぶつからないであろう。しかしこの方がむしろ戦争を長期にわたって予防するためには絶対に必要な条件である。だからこそわたくしは,何事であれ,それに世界政府の名がついているからといって,それを軽んじることはしないであろう。(p.108)

ずいぶんひとをばかにしていると思いません,最初に世界政府は,適当に構成されれば,戦争を防ぐことができる,といっておきながら,次の文章では,有効に戦争を喰い止めることにはならない,なんて。「この方がむしろ」っていうけれども,「この方」はどの方かわからないし,「それに世界政府の名がついているからといって」の「それ」がどれかもわからないし,世界政府の名がついていることが,ラッセルの軽んじる理由になるはずもないし.….めちゃくちゃにもほどがありますよ。

 The chief argument in favour of World Government is that, if suitably constituted, it can prevent war. It would, however, be quite easy to construct a supranational organization which might be called a World Government, but would not effectively prevent war. Such a Government would enconter much less opposition than one in which all serious armed force was under the command of the World Government. Since this is an essential condition for the long-term prevention of war, I shall not dignify anything less by the name of World Government. (p.83)

〔試訳〕世界政府に賛成する主な論拠は,その構成さえよければ戦争が防げるというところにある。ところが,世界政府という名前だけで,戦争を防ぐ有効な働きを持たない超国家組織なら,作るのはわけはない。そういう政府は,力のある軍隊をすべて指揮下におく世界政府にくらべて,反対にあうことがはるかに少ないであろう。軍隊を指揮下においているということが,戦争を防ぐ長期的条件として不可欠なのだから,そこまでいかないものに,私は世界政府の名前を奉りはしない。

 次は,翻訳者としての良心というか,基本的な心がまえに欠けている例なんですがね,

■〔原子爆弾をつくる)最初の困難というのは,…「U235」を分離してひき出すということであった。人類への叛逆者ともいわるべきフックス(Fuchs)は,このプロセスを前進させるのに,実に貴重なはたらきをした。そうして,これは皮肉な事実ではあるが,かれのしたことが,人類への叛逆行為になるということが,もっとまえにわかっていたら,あの原爆は,日本爆撃に間に合うように用意されることがなかったであろう。(p.23)

ぼくはフックスってどんな人か知りませんでしたよ。しかし,読んでどうもおかしい。彼がウラニウム235の分離抽出に「貴重なはたらきをした」として,それを人類への叛逆というのはいいすぎじゃないか。それならE=mc2を発見したアインシュタインも叛逆者ってことになりませんかね。政治家は大ていそうだし,ぼくらもそうかもしれない。またかりに叛逆行為だとしても,そうであることが前々からわかるものじゃありませんよ。さらに,それまでわかったとしたら,たしかに原爆は作られなかったかもしれない。しかし,なぜそれが皮肉な事実なんですかね。皮肉も何もありゃしない。あたりまえな,まっとうな議論でしょう。どうもインチキくさいから,手元のブリタニカをひいてみたら,簡単ながら説明がちゃんと出てましてねえ。フックスってのは,ドイツ生まれのイギリスの物理学者で,原爆製造の秘密をソ連に洩らしたスパイらしい。原文には traitor' treachery としか書かれていないのも道理。人類に対する叛逆者なんて大げさなものじゃない。国家に対する裏切りですよ。秘密の漏洩が早いところわかっていれば,ソ連も作るだろうという予想も早くついたわけで,国際管理のもとにおく動きが出て,かえって原爆はつくられなかったかもしれない,ということじゃないかとぼくは推測するんです。それならたしかに皮肉なめぐり合わせですよね。もっと文献を調べればくわしいことがわかると思いますが,ブリタニカをちょっと開くだけでもこれだけはっきりする。人類に対する叛逆者だなんて,翻訳者として怠慢もはなはだしいな。そういえば「翻訳者は叛逆者」っていうことわざがあったっけ。
 おやおや,ずいぶん長電話になっちゃいましたね。電話代がもったいないから,いい加減でやめときましょうや,ガチャリ。