バートランド・ラッセル『人類に未来はあるか』訳者(日高一輝)あとがき
* 出典:バートランド・ラッセル(著),日高一輝(訳)『人類に未来はあるか』(理想社,1962年6月. 188pp.)* 原著:Has Man a Future?, 1960, by Bertrand Russell
「平和のために働くことは、日本においてしても、英国においてしても同じことだ。また、日本と英国とは何千マイルへだてているとしも、われわれは、書いたものや、実践によって、たがいに呼びかけあい、はげましあうことができるのである。自分は、あえてこの老躯を日本まで運ばなくとも、つねにこの魂をもって日本に呼びかけつつあるのである。どうか日本の同胞に、この自分の意をつたえてほしい。・・・自分の書いたものは、これまで多様にわたっているが、こんどほどなくアレン社(右下写真(1980年、松下撮影) G. Allen & Unwin社)から出版されることになっている Has Man a Future? は、今日、人類が直面している最も緊急な問題と、現在、自分が、平和の実践のためには何がまず第1に為されねばならないと考えているか、そして何を覚悟しているかを、率直に表明したものである。これを、日本のかたがたに読んでもらえば、自分が出かけていって呼びかけたと同じことになる…」こうして卿は、日本語訳についての示唆を与えて、自らアレン社への紹介の労をとってくれた。
特に本書のために寄せてくださった序文は、こうしてこの日、わたくしに約束してくれたものであり、はるかに日本まで飛んでいって、じかに日本の読者に呼びかける、と同じ熱情をこめられたメッセージである。
「平和への道はいろいろあろう。国連改組も世界政府実現もその1つ。しかし、何がまず第1に為されなければならない、といって、核兵器の全廃ほど緊急なものはない。ひとたび爆発すれば、全人類がおしまいになる。そしてそれは、装置の故障によっても起こりうるし、たずさわる人間の何かの事故(たとえば、一時の発狂、判断の誤り、誘惑等)によっても可能である。対談している間にも、烈々と燃えさかる卿の熱誠の炎が、こうして舌端に火をはく。眼光炯々(けいけい)として人を射るごとく、また祈り呼ぶごとく。卿のたましいが、せつせつとこちらの胸に迫ってくる。・・・。
われわれは、今日あるかもしれない、あるいは明日来るかもしれない、この人類終末の危険にさらされているのである。どんな犠牲をはらってでも、ともかくこの危険きわまりないものをとり除かなければならない。
この一事のために、わたくしは、いまこの身をささげている。このほかの何にもたずさわる余裕がない。
わたくしの行動について、いろいろの批判もあり、また、それほどまでしなくとも、と忠告してくれる者もある。
けれどもわたくしは、自分の名や身体のことについてはかまっていられないのである。この世界を廃墟にしてはならない。
この人類を破滅させてはならない。」
この叫びを、トラファルガー広場に発した。この祈りをこめて、黙々とロンドンの街路を行進した。この決意を胸にひめて、国防省前に坐り込みをした。どんな貴族も高官も紳士も(ラッセル卿はそのすべての称号を身につけられた名門の出であるが)核武装政策にくみするかぎり、卿にとって縁なき衆生である。どんなにみすぼらしい無名の青年学生であっても、この人類存亡の危機にさいして、一身を挺しようとする一片の至情のあるかぎり、それは卿の同志であり盟友である。こうして卿は、名もない青年たちと肩をくんで、坐りこみもし、投獄されもするのである。
家庭において卿も、街路にある時と別人ではない。家庭ぐるみ、卿の運動にささげられている。
レディ・ラッセルは、もとは卿の秘書であって、つねに卿の仕事と運動をたすけておられた。相互の理解と尊敬から同志愛にすすみ、ついに結婚された。夫人は、影の形にそうように、広場にも、壇上にも、行進にも、いつも卿と一緒である。
清楚なしかも愛嬌のある感じのラッセル夫人は、慕いよる青年たちに人気があり、どちらかというと気むずかしやで、ぶっきらぼうで、時にはつむじをまげる卿にとっては、こういう面でも調和をとるすばらしい好伴侶である。
「この通り、2分おきぐらいに電話がかかってくるので、ちっともおそばをはなれられないのですよ」と、言いながら、まめまめしく書斎の卿をたすける夫人は、老司令官に仕える若い副官を思わせる風景でもある。
哲学者・数学者、ノーベル文学賞受賞者、警世家、平和運動者、世界連邦主義者として、一世にその名を馳せたバートランド・ラッセルも、今日、齢90歳に達する誕生日を迎えた(卿は、1872年5月18日生まれ――奇しくも卿の誕生日のこの記念の日に、いまわたくしは深い感慨にみたされつつ、このペンをはしらしている)。
背がまっ直ぐでスマートであり、歩く足の運びも堂々としており、とても90の老齢とは思えない。ことに、演説の口調や向かいあっている時の気魂などは、少しも青年のそれに劣らない。
1世紀ほどにもおよぶその生涯をとおして、もやしつづけてきたあの負けん気のファイトも、今は、崇高な「理想」のためにおのれのすべてをささげつくして悔いない殉道的な境地にまでたかめられている。
ふかい霧にとざされたロンドンに、寒波がおそってきた或る冬の朝、あかあかともえる炭火の暖炉に手をかざしながら、「法と不法」という問題について出したわたくしの質問に答えて語ってくれた、そのかずかずの言葉のうちで、むすびとして強調された次の一句が、もっとも印象深くわたくしの胸に残り、あの時の熱情あふれるラッセル卿のするどいまなざしとともに、いつまでもいつまでも忘れることができないのである。
「1エ一カーの他人の畠(畑)を荒らすことが罪ならば、100万エーカーの他国の国土を荒らすことは、100万倍その罪が重い。1人の人間を殺すことが罪ならば、30億の人類を殺すことは、30億倍その罪が重い。その重罪をおかす核軍備が、政策として日に日に強化されつつある。1962年5月18日 日高一輝
その人類に対する不法が、法の名においてわれわれに強制されつつある。
わたくしは、人類に対する叛逆罪を赦(ゆる)さない。
わたくしは、人類に対する不法に服従することを拒否する。
わたくしは、哲学者 Philosopher としてなく、また英国人としてでもなく、一人の人間 (a human being)として要求する。人類を滅ぼしてはならない-」