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バートランド・ラッセル『人類に未来はあるか』(邦訳書)に対するラッセルの序文(日本の読者へ)

* 出典:バートランド・ラッセル(著),日高一輝(訳)『人類に未来はあるか』(理想社,1962年6月 188pp.)
* 原著:Has Man a Future?, 1960, by Bertrand Russell

序 日本の読者へ

(1961年12月30日, B.ラッセル)

Has Man a Futue?(1961)

 
原文未入手(入手しだい掲載)
以下はラッセルが Has Man a Future? の日本語版(邦訳書)に寄せた序文ですが、誤訳と思われるところが何箇所かあります。しかし、今のところ原文が手にはいらないので、日高一輝(訳)のままとしておきます。意を汲んでいただければ幸いです。

 広島と長崎の市民を(核兵器によって)大量虐殺したことは、無法きわまる罪悪行為であった。西洋人の一人一人が責任があり、それと関係がある。なぜならば、それが我々(連合国)の共通の名において行なわれたからである。どんなに敬虔な祭りをしたとしても、またどんなに抗議をしたところで、この殺戮の残虐行為を償うことはできない。
 あの原爆は戦争を終わらせるために投下されたのではなかった。日本政府はそのまえに、既に講和を申し出ていた。西洋諸国の政府はこのことを知っていた。原爆は無人地域で爆発させるようにという科学者たちの懇望が無視された。この力の政治の残忍な行為は、今日、核兵器を所有する国(政府)の遂行する政策が、いかに気ちがいじみて野蛮なものであるかを象徴している。
 私があなた方へこのメッセージを書いている間にも、上空では水爆を搭載した爆撃機がひっきりなしに飛びまわっている。この地球上は、極微力発火機(? 誤訳と思われるが、原文が手元にないため不詳)の上にしつらえたロケット基地で蔽われている。これらロケットや水爆爆撃機やポラリス潜水艦(北極星という名を付した原子力潜水艦)が依存しているレーダー・システム(電波探知方式)は、鷲鳥の群れとか、隕石とか、もしくは月の出すらもふくめて、そういった自然現象からミサイル(長距離大陸間弾道弾)そのものを見分けることができないのである。もし現在の政策を続けてゆくならば、核戦争が起こることは、統計のごとく正確なことである。東西いずれの側の政府も、そのような戦争になったら、その住民が全滅するだろうということはわかっている。かれらは、いまにも何億という人間を皆殺しにする支度をして、そこにいわゆる安全保障を求めようとしている。
 私は信ずる――このような政府を代表する連中は、残忍で、そして兇悪な人間であって、すべてのまともな人たちから軽蔑されてしかるべきである、と。私は、かれらの弁解には聞きあきた――もうがまんができない。どんなに会談をしたところで、どんなにうそ偽りの政治をやったところで、かれらが自分自身の権力のために、すすんで大量の人間を根絶(の危機にさらそうと)しようとしている事実を隠すことはできない。
 英国において我々は、大衆動員による組織的抵抗をしてきている。そしてこの運動が国際的になり、圧倒的になってゆくことが我々の希望である。成功の保証というものがないことだけは理解していなければならない。その企てをするか、もしくは何もしないか、そのどちらかの選択があるだけだ。私は絶望に降服することを拒否する。人類の生き残りとその営みのために戦うのに、その成功が確実であるという青写真、もしくはイデオロギーの潔白をしめす公式を要求するのは、立派なこととは言えない
 私は人類というものが、勝算のあるなしにかかわらず、この地球上で生存しつづけるために、その代表者の1人も戦おうとしないほど、それほど卑劣であると信ずることを拒否する。我々は、百人委員会(Committee of 100)*1を通しての努力の結果、こういうことがわかった。すなわち、人々は呼応するものである、そしてかれらがまじめに取り扱われ、その真剣な願いが聴かれると感じるようになるとき、なおさらそうである、と。
 今日人々を役に立たなくしている(→「無力にしている」)のは、人々が冷淡だからではなく、麻痺しているからである。無関心だからではなく、どうしようもないといった圧倒的な感情(→無力感)があるからである。その感情が、人々をして、世界の各政府が我々を終焉にかりたてつつあるのに、夢遊病者にしているのである。そのような組織的残虐行為に抵抗して戦う人間は、たとえ1人であれ、理由の如何を問わず、いたずらに黙従する人間全部よりも、(人類)同胞に光栄を与えるために、より多くの貢献をなすことができるのである。
 しかしながらもし我々が、効果的な抵抗手段、そして政府が無視しえない抗議のしかたを人々に与えるような抵抗手段を創造することができれば、我々は、政府が我々を殺すのを防ぐこととができる。百人委員会は、核工芸学(→核工学?)が実際に応用されるのを止めようとしている。我々の運動が、全世界に拡がってゆくよう、私は切に熱望してやまない。
1961年12月30日 B.ラッセル
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(写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
[注]
(1)バートランド・ラッセルを最高指導者とする「核兵器全廃」のための運動組織で本部はロンドンにある(Committee of 100, 13, Goodwin Street, London N.4. Tel. ARC 1239)。第2次世界大戦の直後、原子力を戦争に用いてはいけないと主張して「原子兵器反対国民同盟」(松下注:CND:Campaign for Nuclear Disarmament 「核兵器撤廃同盟」のこと)というものが英国に生まれた。やがてラッセル卿がその最高顧問として迎えられ、間もなくその総裁となった。その組織は急速に発展し、大衆の間に浸透していった。核実験反対のための集会、平和行進、国際活動が有力に展開されていった。ところが1959年にいたって、その組織の幹部や地方支部の指導者の間に、国会の議席をもとうとするものが出て来たし、中央においても正式に政党として登録して政治活動に入るべきだとの意見が台頭して来た。それが労働党と接近し、中には労働党に入党するものも出て来た。ところが労働党の主流の方針が、核兵器を所有することは国防上必要であり、軍縮問題は国際事情を考慮してその動きに応ずべきであって、軍備は一応国防に必要な条件として認むべきであるとの意見に傾いてきた。ラッセル卿は強くこの傾向に反対した。いくたびか幹部会議をもみにもんだ揚句、ついにラッセル卿はこの同盟を去った。理由として卿はこう言った、同盟(CND)は'政治的野心'がある、そして不純である、と。こうして卿は、同年、行を共にした同志と共に、もっと純潔な目標及び性格のはっきりした組織を、百人めざして精鋭をすぐり、死をもいとわぬ覚悟の者で発足しようと考えて、「百人委員会」という名をつけた。今日は、英国全土に組織が拡大されて5万人の会員を擁するにいたっている。1961年9月には、ラッセル卿夫妻が自ら陣頭に立って核兵器反対の「坐り込みデモ」を敢行した。卿は国防省の玄関前に坐って逮捕された。ついに1週間の投獄となった。百人委はこうしてシヴィル・ディスオビーディエンス(Civil Disobedience: 政府に対する一般大衆の不服従運動)を開始した。10月29日、ロンドンのトラファルガー広場において、ラッセル卿夫妻を指導者とし、不服従運動をテーマとする公開討論会が、百人委の主催で開かれた。つづいて百人委は、12月9日、英国内各核兵器基地、軍事飛行場での坐り込みデモを敢行した。数千人が行動して数百人が逮捕された。



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(1982年6月20日に南荻窪の松下宅で開催された、第30回「ラッセルを読む会」案内状より)

なにも懺悔する必要のない99人の正しい人間のほうが、天国では、神のふところに帰った1人の罪人よりも、喜びを得ることが少ないという寓話を、よくよく考えたことがおありかな、ふっ,ふっ,ふ・・・
('Have you reflected upon the parable of the ninety-nine just men who needed no repentance, and caused less joy in Haven than the one sinner who returned to the fold?')


(1985年10月13日に松下宅で開催された、
第60回「ラッセルを読む会」案内状より)